言語が変わると性格も変わる。英語を話すときに現れるもうひとりの私

わりとぼーっとしたこどもだったと思う。それでも勉強はそこそこできたし、運動も音楽も美術も、強い劣等感を抱くほどではなかった。そつがないと言えば聞こえはいいけれど、器用貧乏だったと思う。
体格は小さく、下のきょうだいもいないので全体的にこどもっぽい。人前に立つのが苦手で、とにかく誰かについていくのが楽で好きだった。同時に、なぜか人を先導するような立場にもなることが多かった。他薦されるありがたさなど感じられず、活発で自己主張の強いクラスメートたちを、眩しく、少し遠巻きに見ていた。
英語はもとからそれなりにできた。英会話教室に通わせてくれたり、海外出張について行かせてくれたりした両親のおかげだ。英語の授業は簡単に感じて退屈で、あまり真面目に受けなかった。
バイリンガルとまではいかずとも、日常生活に困らない程度には話せたからテストには困らなくて、どんどん不真面目になっていった。カナダへの研修旅行が企画されたのは中学2年生の頃で、仲の良い友人が申し込むと言うから申し込んだ。数十人の中学生に4人の引率の先生。今考えると結構たいへんな人数比だった気がする。
カナダについてすぐに入国審査があった。先生たちは後ろから追い立てたいとのことで、なぜか先頭で入国審査を受けることになった。スキンヘッドで体格の良い事務官の前に押し出され、とにかく訊かれたことに答え続けた。「うしろに並んでいるのはみんな君のともだちか?」と訊かれた。クラスメートたちだと答えると、みんな英語が喋れるのかとさらに尋ねられて。そうでもない子もいると思うからゆっくり喋ってほしいと伝えればわかったとウインクが返ってきた。近くに立っていてくれないかと言われ、そのブースから離れずにいた。緊張したクラスメートたちの手助けをしているうちに、コミュニケーションをとる難しさと楽しさに触れた。その後のカナダでの日々では吹っ切れたように前に立った。英語でコミュニケーションをとっている間は、自分自身を活発だと思えるようになった。それはその後何回か海外に行ったことでよりしっかりしたスイッチになった。
最近御朱印集めを始めた。神社やお寺に前より多く訪れるようになり、日本のひとでも外国のひとでも、写真を撮る手伝いを申し出ることがたびたびある。そういうときに臆せず声をかけられるのって相手が外国のひとのときだ。
英語を操っているときだけは心の底から活発になれるスイッチを携えたまま大人になった。言語を変えれば、わたしは取り繕わずに違った側面を出せる。そのことが心の支えになる瞬間は確かにあって、ある種の逃げ場のようなものなのだろう。
次に海外に行くのならブロードウェイでミュージカルを観たいのだけれど、きっと日本にいるとき以上に社交的で開放的な日々を送ることができる気がしている。英語を忘れないかぎり、わたしはいつでも、少しだけ遠くへ逃げられる。その予感が、わたしを救ってくれる。
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