「笑った顔、変だね」

そっかあ、変なんだ。少し悩んでから、子供ながらに納得はした。
よく「人間、笑った顔が1番いい」と聞く。笑顔の綺麗な女性はモテる。笑顔が綺麗な花に例えられることもある。笑顔が美の象徴なのだろうか。

他の人が不快にならないようまずは笑わなくなった

笑顔が変だと言われた時は小学1年生くらいだった。
近所の学区内の子たちと集団登校や集団下校をしなければならなかった時期があった。そこまで仲良くないの人達との集団を強要される学生時代がずっと嫌いだった。小学生ながら、仲良くない人達と過ごす時間は苦手だった。少なからず気を使っていたと思う。
ただ、その日はツツジの花の蜜を吸いながら、きっと心の底から笑えるような話題で集団下校をしていたのだろう。

「笑った顔、変だね」
途中、唐突にそう言われた時に傷付いたかどうかは今となってはわからないが、それ以来鏡を長い時間かけて見るようになった。
何が変なんだろう。笑った時の口元が下品なのか、頬が上がって、それで目が小さくなることかもしれないし、そもそも自分の顔が変なのかな。
考えた可能性が総じてブスだと言われたことに私はまだ気付かなかった。

たくさん考えてから、他の人が不快にならないようまずは笑わなくなった。楽しいことがあって、どうしても面白くて楽しい時には顔全体を手で隠すようになった。悩んだ末、速効性のある対処法だったからだ。

高校生の時にバイト代を貯めて10万円の二重手術をした

結局「可愛い人達はみんな目が大きくて、目が大きい人は二重だ」という結論にたどり着いた私は、高校生の時にバイト代を貯めて10万円の二重手術をした。何も苦ではなかった。
お母さんは泣いた。娘がどんどん綺麗になって別人になっていくのが怖かったという。お父さんは私に何も言わなかった。興味がなかったか、ショック過ぎて言葉をかけることすらしてくれなかったかどちらかだ。

当の本人である私は罪悪感などまるでなかった。二重手術を受ける時には保護者の同意書が必要で、そのせいで両親には事前告知をしていたからだ。
少なくとも、笑った時の目がいくらか大きくなった気がするし、化粧映えもいい。思春期真っ只中の私は、自分が本当に美しくなった気がしていた。笑った時に顔全体を隠さなくなった。

コンプレックスを自覚させた他人のことはよく思い出せる

偽りの二重になってからもう8年くらい経とうとする。
もう自分が一重だった時はあまり思い出せないが、「笑った顔、変だね」と言ってきた小学校の同級生は覚えている。その後も全く仲良くならなかったし、なんならその一言以外に交わした言葉すら覚えていない。
両親共に、今の私の目に対して何か言うこともない。誤解あったら申し訳ないが仲良しだ。

指摘されたコンプレックスは消えかけているのに、泣いた母親も何も言わなくなったのに、コンプレックスを自覚させた他人のことはよく思い出せる。
何も深い傷ではないが、わたしの二重は、自覚できる思い出である。