「人生の幸せは結婚が全てじゃない。」
2、3年前からそう思うようになった。と、いうのも、いとこの姉が(普段お姉ちゃんと呼んでいる。)結婚願望がなくよくそう言っていたからだ。お姉ちゃんも以前まではお見合いをしたり、結婚に対してそれなりに意識していたと思う。けれど、甥っ子が生まれてから「親に孫の顔を見せてあげたいと思ってたけど、甥っ子ができたからもういいや」とのことだった。

無理する必要はない。結婚しないという選択肢があることを知った

それからのお姉ちゃんは、恋人はいるものの「結婚」を意識するどころか「一生すきなことをして生きていきたい」「結婚は興味ないし妊娠、出産、子育てしたいとも思わない」と両親にも堂々と口にするようになった。見ている私や親戚も口をそろえて「(結婚に)向いてなさそう。」と言った。(別に悪く言っているわけじゃない。)

「あー、かっこいいわ、私のお姉ちゃん。」と思った。お姉ちゃんは知識が豊富でブレない考えを持っている。だからと言って差別や偏見でない限り相手の話も聞くし、知らないことは素直に尋ねて教えてもらう。自分の思いも相手を傷つけないように伝えている。(たまにヒートアップしたり、差別や偏見に対してはとことん完膚なきまでに打ちのめしてる。そこもまた憧れる。)

そんなお姉ちゃんの「人生の幸せは結婚が全てじゃない」発言。

私は、そう思うようになるまでは、結婚に憧れもあったし子育てもしてみたいと思っていた。だからよく、「23歳くらいで結婚して若い親になりたい!」とも思ってたし、25、6歳の頃は割と焦っていた。けれど、いろいろな経験をして、いろんなことを知って、今、自分がしたいことに取り組んでいると「結婚」に対しての関心は徐々に薄れていった。「わざわざ無理して結婚せんでもいいか。」と。

結婚するのが当たり前、でも結婚は枷になる。そんなのおかしくない?

今でも結婚や子育てに憧れはある。でも、「無理してまで結婚する必要はない」と思うのは「結婚」という制度が女性側に不利になっているからだと思う。今や女性も社会に出て働くのが主流になってきていて、まだまだ男尊女卑の考えはあるけれど女性でも管理職についたり、「女社長」もいる。けれどそういう上の立場になるにつれて「結婚」は障害になるだろう。「結婚したら子ども産むの?」と聞かれることもある。実際に、仕事が原因で出産を諦めてしまう人を何人も見てきた。

就職活動でもそうだ。「新婚なの?(結婚してるの?)子どもは?産むの?それじゃあ困るなあ」などなど、、。だいたい子どもを産みたいかどうかなんて、なんで他人に言わなきゃいけないの。聞く時点でそこがまずおかしい。

もちろん、お姉ちゃんのように結婚や子育てに関心がない人もいる。それもまた当然である。そういう考えもあるのに「いつ結婚するの?」とか「早くしないと婚期逃すよ」とか失礼極まりない発言も許しがたい。

どんな選択でも素晴らしい人生になる。吹っ切ったら、葛藤も消えた

やりたいことがある。
「でも結婚、妊娠、出産、子育てもしてみたい」と葛藤していた私は「人生の幸せは結婚が全てじゃない」の言葉に安堵した。結婚しなかったら不幸とは限らない。確かにそうだ。だって独身でも楽しそうに人生を歩んでいる人達はたくさんいる。

もしかしたら私にとって結婚や子育ても素晴らしく幸せなのかもしれないけど、結婚したことを理由にやりたいことを制限する方が辛いのかもしれない。
その逆も然り。けれど、きっと結婚してもしなくても私の人生は素晴らしいんだと思うことにした。
だって将来のことは分からないもの。
もしかしたら結婚や子育てをしてもやりたいことができる環境かもしれないし。
だから、私は「結婚」に拘らないことにした。そう思うと葛藤もなくなった。

それでも願う。女性だからって、諦めてしまうことがない社会に

そう思ってもやっぱり願ってしまう。
「女性だから」「結婚しているから」「妊娠したから」「子どもがいるから」が原因になって、やりたいことを諦めてしまう、出来ない社会や風潮なんて消えてしまえって。結婚、妊娠、出産しても社会に、仕事に当たり前に居場所がある世の中が1秒でも早くできて欲しい。