――徳島市初の女性市長。やはり男社会ですか。

職員には女性がたくさんいるんですけど、幹部級になるとすごく少ないですね。女性の部長は1人だけ。本当に男性ばっかり。しかも年上。男社会ですね。

 ――男社会に入って壁は感じたましたか。

私はこれまでも基本的に男社会のなかで活動してきました。例えば行政とまちづくりの話をするにしても、トップはほぼほぼ男性。企業も上位層は男性が多く、政治家もそう。抵抗感はありませんが、やっぱり女性の意思決定ってこれほどまでに反映されづらいのかと感じています。

例えば、子育てや教育の話をするにしても、やっぱり保護者の感覚って伝わりづらい。特に50代の男性って、家庭があって子どもがいたとしても、奥さんが専業主婦、あるいは共働きにしても、言葉は悪いですが家庭をないがしろにしている男性が多い。奥さんに子どものことを投げて、自分は仕事人間みたいな人がたくさんいる。

当選証書を受け取る内藤佐和子さん=2020年4月

――市長選は激戦でした。いろいろ批判はありますか。

「おもしろくない」「お手並み拝見」という声は聞こえてきます。それはもうしょうがないと思います。正直。36歳の女が市長につくっていうのはそういうことですよ。市長に就任するのは、そういうことを言われるのだろうなという覚悟も含めて持っています。

――めげたりはしない?

しませんね。ツイッターとかSNSでもいろいろと言われていますが、誹謗中傷が問題となっている今、それやっちゃっていいのと思いますけどね。市長になると、決まっていても言えないこともあるんです。外に発表するタイミングもあるし、内々で調整していることもある。

「市民はこう言っている」と言われることもあります。わかっているけど、全部いまの状況をさらけだすこともできない。それでSNSで色々と言われることもありますが、徐々に徐々に姿勢を示していかなければと思っています。

就任後、同じスーツを着ているという内藤佐和子市長。「服ではなく、何をするかに注目してほしいから」=6月3日、徳島市役所、伊藤稔撮影

土日もほぼほぼ役所の全フロア回っています

――選挙のときから現場主義を掲げています、実行できていますか。

タクシーに乗っていても、飲食店の人と会っても「今どんな感じですか」とか、常に聞くようにしています。NPOの代表と会ったり、エレベーターで職員と一緒になったりしたら「なんか困っていることはないですか」と聞く。土日もほぼほぼ役所に来て、全フロアを回ったりしています。

子どもとの時間がとれないのは「あってはいけないこと」

――家庭では小学生の息子をもつ一児の母ですが、生活は変わりましたか。

息子にとって今の私は、夜はときどきごはん一緒に食べる人で、朝しか会わない人という位置づけ。あきらめられています。新型コロナウイルスで学校もなく、私も就任当初はもっと忙しかったので、ストレスがかなりたまっていたようです。私は覚悟して市長になったので仕方ないですが、息子にはごめんと思いながら……。

だけど、今が特別忙しいだけだとも思っています。今後は、副市長ら他の人に任せられる部分はお願いするなどして、体制を整えていくし、コロナも収束してきたら子どもといる時間もとれると思っています。

今のように子どもとの時間を十分にとれないというのは、次世代の政治家のためには「あってはいけなこと」だと思っています。コロナの影響で働き方改革も進んで、オンラインミーティングなど、在宅でできる仕事も増えてきました。市長の働き方も変えていけたらいいなと思っています。

――いろいろな施策を打ち出していますが、ペースが早すぎませんか。

まだまだです。もっと早くできるだろうと思っています。職員がスピード感に慣れていない。そこは慣れてもらわないと。私はまだまだいけます。やっぱり女性の声とか、民間と組んでいこう、今あるテクノロジーをぜんぶ使っていきましょうというのはやっていきたい。

――最後に、若い方に一言いただけますか。

まちに興味をもってほしいですね。コロナがあったことで、子育てや給付金、教育のことなど、実はいろんなことが政治につながっていることに、気づいた人も多いと思います。政治のリテラシーを身につけてほしい。それは、結局自分ごととしてとらえるかどうかだと思うんですよ。みんなが変わっていけば、一緒に前へ進んでいけるのではないかと思います。

●内藤佐和子さんプロフィール

1984年徳島市出身。東大在学中に難病の「多発性硬化症」を発症。家族、友人らとの交流をつづった「難病東大生」を2009年に出版した。「徳島活性化委員会」を立ち上げて、地元活性化のアイデアコンテストなどを実現した。2020年4月5日投開票の徳島市長選に新顔として立候補し、当選。史上最年少女性市長に。