2021年。私は、客観的にどう見えるのだろう。そんな興味から、ふと「写真を撮られる側になってみたい」と思った。
被写体になることへの憧れはあるが、ずっと撮られるのは苦手だった。「私なんか」と思っている自分の内面を、見透かされそうな気がしていた。

好きな人と話して自覚した「私は中身がない人間」

2019年夏、初めて私に好意を抱いてくれた人がいた。彼は映画が好きで、音楽が好きで、お笑いが好きで、ドライブが好きな人。かつ、好きなものに対して「何が好きか」を詳しく語れる人だった。そんな彼が、付き合う前に私に言った言葉が今も頭から離れない。

「(私の名前)ちゃんは、何が好きなの?」

私は何て答えただろうか。覚えていない。いや、覚えていないくらい曖昧に答えたのだろう。彼の好きなものへの熱量に対し、私はこれっぽっちも好きなものが出てこない。「私はは中身がない人間だ」。はっきり自覚した瞬間だった。

みんなと話したくてミーハーになりたかったが、なれなかった

彼に出会う1年前、社会人になりたての私は日常会話に怯えていた。よくあるトークテーマ「私の好きなこと」は、ミーハーな話題が求められると察したからだ。

青春時代、私は持ちうる時間のほとんどを費やし、バレエやダンスに明け暮れていた。当時流行ったテレビ、映画、音楽、ゲームなどは、ほとんど分からない。大学生になっても、私の興味の矛先はアートだった。芸大に通い、放課後は夜遅くまでジャズダンスをする日々。休日は可能な限り、劇場に通っていた。勉強もプライベートもアート漬け。私にとっては幸せだった。ところが社会に出ると、アートというニッチな話題に興味を持ってくれる人がほとんどいない。いつのまにかアートが好きな自分に自信を失っていた。

「私なんか、話してもつまらないよな」

ミーハーになりたい。みんなと話したい。でも、そう思えば思うほど、自分が自分でない気がして苦しくなった。ミーハーになるより、会話に入らないことを選んでしまった。

そして社会人2年目。2019年夏に彼と出会った私には、もう一度ミーハーになるチャンスが訪れた。「彼が好きだと言うものを追ってみよう」。初めは結構楽しかったが、1ヶ月も経つと追えなくなっていた。映画や音楽に触れるのさえ遠ざかり、私のミーハー計画はあっけなく終わりを告げた。

新型コロナの自粛期間に見つけた、私だけの「好き」

社会人3年目、奇しくも映画や音楽に頼らざるを得ない時がきた。新型コロナの流行による「自粛期間」である。誰にも会わず1人になった私は、良くも悪くもミーハーな話題を求められる場がなくなった。だから「まず自分が興味を持ったものだけ」観たり聴いたりするようにした。自分の直感で鑑賞していったのだ。

他人軸を辞めたら、少しずつだが私だけの「好きなポイント」が見えてきた。自分が思う「好き」まで、人に伝えたくなった。結構驚きである。あんなに会話を避けていたのに……。

ミーハーにはなれなくても、私だけの「好き」は伝えられる。それだけで、自分の感情がほんの少し尊く思えた。自粛期間から数ヶ月経った今、「私なんか、中身がない」そう思うもう1人の私は、もう小さくなっていた。

自分を卑下しなくなった私は、外からどう見えるだろう

だから2021年は、「写真の被写体になる」という挑戦をしたい。私に起きている小さな変化は、客観的に見てどう映るのか。公式の写真でなくてもいいから、たくさんの人に撮られてみたい。その時どんな表情をしているのだろう。今からとても楽しみだ。

仮に、内面を見透かされてももう大丈夫。「私なんか」と自分を卑下していた自分は、めったに姿を見せないだろうから。