「食べること生きること」かがみすと賞&編集部選を発表!
かがみよかがみ編集部では、6月から7月にかけて、「食べること生きること」をテーマにエッセイを募集しました。たくさんのご応募の中から、編集部が一番心に響いたエッセイを「かがみすと賞」として選ばせていただきました。今回も編集部の溝上から発表します。
かがみよかがみ編集部では、6月から7月にかけて、「食べること生きること」をテーマにエッセイを募集しました。たくさんのご応募の中から、編集部が一番心に響いたエッセイを「かがみすと賞」として選ばせていただきました。今回も編集部の溝上から発表します。
今回もたくさんのご応募ありがとうございました!
いつもにも増して多くのエッセイが届き、どれも楽しく読ませていただきました。
“食べること”と言われて私が思い出すのは、料理上手な母が作るご飯。栄養バランスを考えた色とりどりのおかずが並ぶ食卓、すべて手作りのお弁当…。当たり前のように感じていた実家での食事はなんて贅沢だったんだろう、と自分が作る側になって感じたことを思い出しました。
一方で、摂食障害やダイエット、病気を通して食事に向き合った話など、“食べること”に関するつらい経験を綴ってくれた方も多くいました。
“食べること”は日常のひとこまだからこそ、皆さんのエッセイを読んで改めて食の大切さに気付かされました。
それではさっそく、かがみすと賞1本と編集部選3本を発表していきましょう!
各タイトルをクリックすると、それぞれの記事に飛べますのでぜひ読んでみてくださいね。
読み終わった後、心がじんわりと暖かくなって、気付けば泣いていました。お母さんの愛情がひしひしと伝わってくるエッセイです。
実家で作られる「白菜と豚肉のミルフィーユ鍋」を「白菜と肉」と呼んでいるのも、実家ならではの空気感が伝わって素敵。家族内だけで通じる、幼い頃から呼んでいた通称みたいなものってありますよね。
もう耐えられなかった。上京して母親の期待を裏切り、妹の将来さえ奪いかけていた自分に、母は今も大好物を用意してくれる。家を出て多少なりとも自立したなんて思っていたけれど、結局は親の手の中でチョロチョロと動き回っていただけだった。
このあたりで、読みながら私も涙がぼろぼろ。
私の母も、実家に帰るといつも私が好きだったものを作ってくれるなぁと思い出しました。なんでお母さんって、喧嘩しても、気まずいことがあっても、好きなものを作ってくれるんでしょう…。それこそ理由なんてなくて、母から娘への愛情ですよね。
そして、実家から帰ってきたひなたのさくらさんを迎える恋人の暖かさにも涙、涙。
料理が得意でいつも美味しいごはんを作ってくれる彼に、「今日のごはんはなあに?」と聞くと、彼は野菜を切る手を止めないまま、「『白菜と肉』だよ」と言った。
なんて素敵な恋人なの…。料理って、本当に愛情表現だよなぁとしみじみ感じました。
今回も編集部選として、3本、ご紹介します!
こちらは“お母さんの味”にまつわるエッセイ。
お母さんと喧嘩をしたIto.さんは部屋に閉じこもり、深夜にお腹が空いて台所へ。冷蔵庫にはお母さんが作っておいてくれた餃子がありましたが、それには手を付けず、冷蔵庫にあった豚バラを炒めます。
みりんと醤油、酒と砂糖を目分量で入れると、それなりの見た目になった。野菜ぐらい入れるべきだったとは思うけれど。
適当に盛り付け、「なんだ、私だってやればできるじゃん」と思いながら口に運んでみる。そして驚いた。全く美味しくなかったのだ。
これ、めっちゃ分かります…。母の料理を見様見真似で作っても、なぜかおいしくならないんですよね〜。「みりんと醤油、酒と砂糖」という失敗のなさそうな調味料を入れているのに、というのもポイントだなと思いました。
よく“お袋の味”と形容されるけれど、母が作る料理が美味しいのは、味付けや調理の手腕だけじゃなく、その裏にこんなどうしようもない娘のための愛情や苦労があるからだということを忘れてはいけないと思った。
これぞ真理。でも、子供の頃はなかなかそのことには気付けませんよね。私もそれに気付いたのは、実家を出て一人暮らしを始めてからかも…。そう考えると、やっぱり自分で料理をしてみるって経験は大事なのかもしれないなぁと思いました。
まぎれもなく生活の一部のはずなのに、「女子力高い」の一言で、それは自分を取り巻く「生活」の話でなく外部からの「評価基準のひとつ」になってしまう。全人類、ご飯を食べるのに。
「女子力」にまつわるこの記述、首を縦に振りまくった方も多いのではないでしょうか。。
食事を作るって、「女子力」じゃなくて「生活力」ですよね。そもそも「女子力高い」って言葉、いい加減に滅びてくれー!
「自分の好物を見つけなさい。出来たらどこでも簡単に手に入るものがいい。『これだけは絶対においしい』って思えるものを見つければ、どんな時でも大丈夫だから」
そしてこの、お母さんの教えが偉大。私もこの教えを子供の頃に知りたかった!
何もかもうまくいかなくて、そして空腹なときってどん底にいるみたいな気持ちになるけど、お腹が満たされると不思議と大丈夫な気がしてきますよね。“どこでも簡単に手に入るもの”っていうのも重要なポイントですね。
女だからとか、誰かに認められたり、求められたり、好まれるためにお弁当を詰めている訳では無いのだ。 次に「女子力高いね」と言われたら「違いますよ、生きるためです」と答えたい。
本当にこれ、「生きるためです」。私も多用していきたいと思います…!
自炊が女子力と呼ばれることへの葛藤、自分のための料理、という意思のバランスが良い、素敵なエッセイでした!
摂食障害について書かれたエッセイは他にも多数寄せられましたが、その中でも摂食障害の苦しさ、つらさなど、言葉を尽くして書いてくれていた印象を受けました。
制限期は朝はりんご、昼は無調整豆乳とプチトマト、夜はもずくとゆで卵というようにメニューを決めて、狂ったように筋トレをする。サンダルが重りのようで、階段を三段上がるだけでも息が切れる。
過食期は死期に人目のない場所へ向かう猫になった気分になる。誰も知らない醜い私。胃はゴミ箱で味わう間もなく食材を詰め込む。
制限期、過食期の詳細な様子が描写されていて、読者にもその苦しさが伝わってきます。制限期の1日のメニューなんて、そんなんじゃ死んじゃうよ…!と思ってしまいますが、当人にはその感覚はないんですよね。。
また、エッセイの中では、容姿による他人からの評価についても触れられています。
中学ではクラスの優しい人ランキングで3位だった私が、高校ではイケている女子ランキングで学年1位と卒業文集に記されていたのを見て、死にたくなった。私は何も変わっていないのに、と心で叫んだ。
これはその中の一つですが、見た目ひとつで他人からの評価がどれほど変わるかというのがよく分かります。「私は何も変わっていないのに」という言葉が苦しい…。
他にも摂食障害についてのエッセイを読んでいると、見た目に関する他人からの評価や心ない一言がきっかけで…という人が多くて、悲しくなります。。
同じように摂食障害を経験したことがある方はもちろん、摂食障害についてよく知らないという人にこそ読んでもらいたいエッセイです。
以上、「食べること生きること」のかがみすと賞の発表でした!
現在は、「私を変えたひとこと」「あの人に謝りたいこと」「わたしが働く理由」のテーマで募集しております!
ご投稿、お待ちしております!
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。