誰かがいなくなったと分かった翌日には決まって、目が覚めると私の頬には涙の跡があった。
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親戚のおじさんが死んだ日。あれは私にとって初めて体験する身近な人の死だった。クリスマス当日だった。サンタさんにクリスマスプレゼントをせがんだから代わりにおじさんを連れて行ったのだと、幼い私はサンタを恨んだ。
その日、夢にガイコツになった伯父が現れた。祖父のベットに横になり、頬杖をつき、私を見るように首をまわすのだ。その顔にもう目はなかった。夢だとは分かっているのに、その時の真っ黒な両眼を10年以上たった今でも覚えている。
私に父がいたと母から知らさせた日もまた夢を見た。それまで私は、自分に父親という存在がはなかったと思っていた。繁殖の仕組みなんて知らなかった幼稚園児といえど、どうして父親がいないのを不思議に思わないのか謎だったと当時を振り返って母は言った。
聞かれてもいないのに真実を打ち明けた母には尊敬しかないが、やっぱり無いことと、失ったことの違いはあまりに大きかった。
父親を失ったと分かった私はその日、大きな手にひかれ、知らない場所を散歩する夢を見た。温かくて、残酷な夢だった。
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中学3年生の私の誕生日の数日前。また久しぶりに頬が濡れていた。私を孫のようにかわいがってくれた伯祖母が亡くなった翌日だった。何度もお見舞いに行った病室だった。顔色の良い伯祖母が娘さんと私の祖母、伯祖母の妹とにこやかに会話をしていた。私だけに声が聞こえなかった。私だけ、誰からも見えていないようだった。すると突然聴覚が戻って、一言だけ聞こえた。
「ありがとう。十分よ」と。
その言葉にはっとした時、私はベットの中で泣いていた。私の祖母も伯祖母の娘さんも、できることは全てやったと分かっていても、後悔のような悲しみにかられると言っていた。私自身も伯祖母が亡くなる2日前、お見舞いに行こうか迷って結局行かなかった。いっていたら最後に話せたのにと思ってしまった。後悔と罪悪感を軽減させる救いの夢はそれでも涙を流させた。温かいとは言えない、虚しい涙だった。
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目が重たくて、枕に少し濡れた跡があった日は毎回、なんでこんな夢を見たんだろうと思った。平安時代の人は夢に異性が出てくるとその人が自分を想うあまり、夢にまで入ってくるのだと考えた。らしい今とはまるで逆。自分が意識しているから、作り出すのが夢。現代の考えの方が理論的に証明されているより確からしいものなのだろう。
でも、私には分からない。あの夢が何を伝えたかったのか。私自身どう思っているのか。どうして目が覚めたらなぜか忘れてしまっているいつもの夢のように、わたあめのような儚さと柔らかさと甘さで、ふわりと溶けていってくれないのか。なにも、現実にまで尾を引いてこなくていいのに。
平安時代の夢占になら計り知れただろうか。
なんで急にこんなことを考えはじめたのか。それは今、久しぶりにまた私の頬が濡れているからだ。
誰も死んだわけではないのに。私は一体何を失ったのだろう。なんにせよ、いつもと変わらない透き通った空気の朝、私だけが夢に引きずり込まれたような、こんなに目覚めの悪い朝はない。