「あら、お婿さん捕まえたがけ。男の子も産んで。えらいちゃ〜」
親戚の一言に、仮面の笑顔がゆがみそうになる。だから、言いたくなかったのに。
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私は、2人姉妹の末っ子として産まれた。まだまだ家長制度が当たり前のように根付く富山の田舎。跡取りとなる男児がいないことは、死活問題だった。いつもはやさしい祖母から、ことあるごとに「絶対におっさま(富山の方言で、次男)を捕まえて、婿にもらうんやよ。長男はあかん」と耳にタコができるほど聞かされた。両親は時代遅れだとたしなめていたけれど、完全に否定はしなかった。母も、男の子を産めなかったことに罪悪感を抱いていたのかもしれない。
幼い私は、わけがわからなかった。だって後を継いでほしいなら、そう言えばいい。なのになぜ、婿が必要なのか。女の私たちではなぜだめなのか。女に産まれたのが否定されている気がして、悲しかった。
疑問が苛立ちに変わったのは小5のとき。地域の集まりで、同級生の男の子に話しかけにいこうとしたら、「あっちは、男の人の場所よ」と止められた。周りを見渡すと、母たちは食べ物や飲み物を準備して、せわしなく動き回っている。男たちはどっしり座って、酒を飲んでいるのに。同級生の男子を「将来有望だ」と持ち上げる男たち。私は気づいてしまった。そうか、この場では男が偉いんだ。学校では共に遊んでいるのに。私のほうがよっぽど勉強ができるのに。女というだけで同じ土台に立てないことに、腹が立った。
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結局、女は下。だから祖母も、「家を継げ」ではなく、「婿をもらえ」という。心底、気持ち悪いと思った。酒を運んでせわしなく動く母たちを見ながら、こんな女たちのようにはならないと、心に誓った。ましてや婿を取るなど言語道断。祖母の言葉に真っ向から反発し、いつしか大好きだった祖母と心の距離ができていった。
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高校卒業を機に地元から出た。出会いと別れを経験し、祖母に抱いていた嫌悪感は、いつしか憐れみへと変化した。
祖母はとても活動的で賢い人だった。人脈が広く、いたるところで噂話を垂れ流すクソババアだったが、時代が時代なら、キャリアウーマンとして男勝りに働いていただろう。男を立てなくても、生きていけたはずだ。だが、祖母が生まれたのは戦時中の片田舎。小さな世界で生きるためには、周りと同じく、男を立てることでしか生きられなかった。姑にいびられながらも、建設業を営む夫を家庭でも仕事でも一心に支え、2人の子どもを育て上げた。
時代が変わる頃には、すでに年老いていて。自分の身に染み付いた常識を崩すことはできず、人にも押し付けて。正当化するしか、できなかった。むしろ、祖母にとって、姉妹として産まれた私達のどちらかが婿を取ることは、私たちの幸せを願ったやさしさだったのかもしれないとも思う。だって、心から私たちを愛してくれていたから。痛いほど、やさしさをくれたから。そんな祖母の生き様を否定することはできなくて。私は祖母の言葉を、苦笑いで受け流すようになった。亡くなる日まで。
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心から結婚したいと思う人に出会った。長男だった。だが祖母はもういない。長男を連れてきてもなにも言われないことに一抹の寂しさを覚えつつ、ほっとした。
だがスムーズには進まなかった。夫の親は、いわゆる毒親。ほそぼそと付き合いを続ける気だったが、あまりの毒に耐えかねて、義実家とは縁を切る決断をした。夫の姓を名乗るのは憚られ、事実婚を選択したが、子どもが生まれるのを機に、私の名字に変えた。そして、林の名字を継ぐ、男の子が生まれた。
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夫は婿入りしたわけでもなければ、私も家督を継ぐわけでもない。夫も子どももただ名字を林にした。それだけ。
だが周りはそうは思わない。特に、年配層は。
そして冒頭に戻る。
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わかってる。悪気があるわけでもない。時代や環境が違えば、こうはならなかった。だからわざわざ本当の理由を伝えて、がっかりさせることはしない。でも私の心には、影が差す。
「天国のおばあちゃんも喜んどるわ」
はっとした。たしかに祖母が生きていたら、大喜びして、近所に触れ回っただろう。むしろあれだけ悩んだ夫の実家との絶縁も大賛成して、婿養子にさせたがったかもしれない。何より、男の子の曾孫の誕生を、心から祝福し、可愛がってくれただろう。私はちょっと複雑な気分で苦笑いして、でも祖母の笑顔に嬉しくなる。しかしそのうち、我が子への男としての教育に口出しをし始め、私は腹が立ち、また思春期の頃のように言い争うのだ。
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想像すると、ふっと心が軽くなった。
時代遅れの祖母。名字一つで大喜びしただろう祖母。私の大好きで大好きで、大切なばあちゃん。
今日も私は、手を合わせる。