自分の名前を言い間違える大人がいると聞いて、あなたは何を想像するだろうか?
記憶喪失? 何らかの脳の病気?
いや、体はいたって健康でも、自分の名前を言い間違える人間が存在する。それが私だ。

私は二つの名前を使い分けている。
旧姓である「古谷」と、夫の姓であり戸籍姓である「新谷」だ。(どちらも仮名)

結婚時、できることなら改姓したくなかった。
自分の名字、というのは大切なアイデンティティの一部だ。もちろんこだわりのない人もいるだろうが、私の場合は、生まれてから二十数年使い続けてきた名字に愛着があり、それを捨てることはアイデンティティを失うことだった。
だが、現在の日本では日本人同士の結婚において夫婦別姓は許されていないので、泣く泣く改姓するしかなかった。
戸籍上の姓が「古谷」から「新谷」へ変わり、保険証、銀行口座、クレジットカード等、とんでもなく面倒な改姓手続きに奔走した。不本意な改姓に手間も費用も取られるのはつらかったが、職場では旧姓使用が可能なため、それによってなんとか自分の気持ちを持ちなおそうとした。

二つの名前を使い分けることは困難

私は職場に「旧姓使用届」を提出し、引き続き「古谷」を名乗り、同僚からも変わらず「古谷さん」と呼ばれる。日々の大半を過ごす職場で「古谷」が使えることで、「自分の名前は古谷だ」という意識を持ち続けることができるように思えた。

しかしながら、この時から私は、二つの名前を使い分けるという芸当をこなさねばならなくなった。
旧姓使用はあくまで旧姓を仕事上の通称として使えるだけだから、仕事以外の場面では基本的に戸籍姓しか通用しない。

ある日、歯医者から予約の確認の電話がかかってきたとき、仕事と同じ調子で「はい、古谷です」と電話に出たため、相手の方が「あれ、えっと、新谷さんの携帯ではないですか?」と戸惑い、「あ、新谷です」と五秒で自分の名前を翻した。
別の場面で、問診票を「古谷」で記載して提出してしまい、受付の方が慌てて「すみません、保険証もう一度確認してもいいですか!?」と駆けよってきたこともある。
また、職場で旧姓使用できるといっても100%ではなく、書類によっては旧姓が使えないこともある。そのため、「新谷」で書くべき書面を「古谷」と書いて訂正が必要になったり、どちらでもよいものについては「○○の記載は旧姓にしますか、戸籍姓にしますか、それとも併記しますか」と確認が来たりして、なんだか担当の方に負担をかけているようで申し訳ない。

名前が変わっても過去をひっくるめて評価してもらうのは困難

私は、自分の名前すらすんなり名乗れない。
名前という、自分が自分であることを示す最も重要な“看板”を、迷うことなくびしっと掲げることができない。二つの看板をおろおろと使い分けるとともに、本当に掲げたい方の看板の効力が弱いことを思い知る日々。それはかなりのストレスとして降り積もっていく。
こんなにややこしいなら、いっそのこと看板を「新谷」に統一したほうがいいのだろうか。
私の答えは、絶対にNOだ。

改姓するということは、人生を断絶することであると思う。大げさに聞こえるかもしれないが、私にとっては本当にそうなのだ。
名前という一番重要な看板がすげ替わっても、自分を認知している人たち全員に同一人物であることを浸透させ、過去に積み上げてきたものをひっくるめて自分だと評価してもらうのは、想像以上に困難だ。
私のようなただの事務員でも小規模な断絶は起こるし、研究者や弁護士、経営者となるとその損失は計り知れない。

これまで積み上げてきた人生を破壊させてまで、夫婦の一方に改姓を強制する制度ならば、絶対に制度のほうが変わるべきなのだ。いや、変えるべきなのだ。

「家族は絶対に同姓」という価値観は、もはやスタンダードではないと思う。それでも、日本ではその価値観が根強いならば、私はこんなにつらい思いをしていると声を上げて社会を変えていくしかない。

必死に闘う人たちを支え、一緒に扉を押し開けていきたい 

すでに何十年も前から、選択的夫婦別姓制度の導入を求めて声を上げ続けている人たちがいる。声を上げる人たちは、当然ながら、同姓を否定しているわけではない。自分の姓を名乗り続けたい切実な理由や事情があって、そのために別姓という選択肢を追加してほしいと訴えているだけなのに、政治家は「日本の家族観の伝統」などを持ち出し、にべもなく却下してきた。心ない反対の声を投げられ、心が折れることもあるだろう。

それでも、少しずつ、本当に少しずつだが、扉が開かれようとしている気配は感じられることもある。必死に闘う人たちを支え、一緒に扉を押し開けていきたい。
ただの一般人である私の声など、本当に微力かもしれないが、沈黙すれば存在しないとみなされる。活動する人たちに寄付をし、「選択的夫婦別姓制度の導入を望んでいる」という姿勢を明らかにし、周囲の人たちに自分の抱える思いを説明していく。
いつだって、そういうたくさんの声が合わさって、苦しい立場に置かれてきた人たちの生きる道が切り開かれてきたのだと思う。
選択的夫婦別姓制度の導入を目指して、いろいろな個人が、家族が、それぞれ一番生きやすい道を堂々と歩いていけるような、そんな社会に変えていきたい。