「間違えていません!」言い切った後で気がついたミスと後悔

やらかした。会社の電話から、全然関係ない人に電話をかけてしまった。それも、何回も。
1度の間違い電話くらいなら誰にでもあるだろう。押し間違いをしていた、なんてよくあることだ。
わたしは、間違いなくいろは支部に電話をかけたものだとばかり思い込んでいた。
わたしが勤める会社では、各支部の電話番号は紙面での保管に加え、職員がすぐ、簡単に確認できるようにPC内のファイルでも保管していた。ファイルへの入力は、もちろん、職員の誰かが行っている。
今回は、そのファイルへの入力の時点でミスをしていた、という話だ。言わずもがな、わたしが。
ある日、いろは支部に用があり、ファイルから番号を確認して外線をかけた。全員出払っていたのか、留守番電話に繋がった。簡潔に名乗り、改めてかけ直す旨を吹き込んだ。後日かけ直したが、また、繋がらず。これを何度か繰り返した。
その直後、いろは支部の人と直接会う機会があったため、無事、用件は済まされた。
それから数か月後、また別件で電話する必要があり、かけたが、また繋がらず。
なんでだろう、おかしいなと思っていたところ、社内で「こちらの番号にかけた方はいませんか?以前にもかかってきたことがあったようです」とのメールがあった。
わたしは、その番号に見覚えがあった。
だから改めてPCファイルとメールの番号とを確認した。こちらは相違ない。
発信履歴とファイル、そしてメールの電話番号を確認する。こちらも合っている。
少々混乱はしたものの、いろは支部の人が何か確認のためにかけ直してきたのかもしれない、と思った。だから、大丈夫だろう。もし何かあれば別の手段で再度連絡すればいい。そう安易に考えてしまった。
安堵していたのも束の間、上司が各部署を回って「ワタナベさんという方にかけた方いませんか?」と尋ねてきた。
この時点でわたしは、メールで共有された番号がワタナベさんの電話番号であることに気がついていなかった。その上、いろは支部に電話をかける前に再三番号を確認していたため、押し間違いではないという自信もあった。もちろん、いろは支部に”ワタナベ”という人はいない。
そもそも、間違えていたのはファイルへ入力の時点なので、ファイルに残された番号とわたしが確認した番号が合っていたのはそれで良かった。なぜ、そこまでの確認だけで”間違えていない”と確信してしまったのか、今となってはその後悔が押し寄せるのだが。
上司には、『かくかくしかじかで、間違えていません!』と言い切ってしまった。
「実は間違っていたとかもないかい?」
上司はもう一度、優しく尋ねてくれたのに。
『はい、大丈夫です。間違いはないです』
きっぱり、すっぱりと断言してしまった。
”本当に間違えていないのか?”
本質の問いが決まって遅れてやってくるのはなぜなのだろうか。気づいたところで後の祭りだと言うのに。
いそいそと書類の保管庫へ行き、中身を確認した。そこに書かれていた番号は、PCファイルの番号、すなわち発信履歴の番号と異なるものだった。そこに書かれていた番号こそが、いろは支部の番号だったのだ。
なんということだ。わたしは今までずっと、ワタナベさんに電話をかけていたのだ!
幸い、留守番電話にも名乗り程度しか吹き込んでいなかったため、事なきを得たものの、多大なる過ちだ。身体の奥から火照って、それでいて冷や汗が止まらないという初めての体験をした。
ワタナベさんからすれば、全く関係のない会社から数か月にわたり、何度も入電があり、思い当たる節もない。きっと相当怖かっただろう。その時は会社の偉い人が対応してくださるという手筈になり、わたしから直接ワタナベさんに謝罪することは叶わなかった。ワタナベさん、本当にごめんなさい。
上司も、わたしのことを責めたいがために繰り返し間違いがないのか尋ねていたわけではなかった。その後も、後始末を全て請け負ってくれた。
「今後気を付けてくれたら大丈夫ですよ」
そう言われる方が辛かった。いっそ、こっぴどく叱られた方が晴れやかだったかもしれない。
あんなに優しく、そして丁寧に「本当に大丈夫?」と聞いてくれたのに、『絶対に大丈夫です!』なんて言い切ってごめんなさい。
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