玄関より一歩外に出ると、そこは戦場。電信柱の陰に刺客がいて「ブス」と言ってくるのでは、あるいは「イケてない」という視線で刺されるのではないかという被害妄想が充満した脳は内圧で爆発寸前につき戦々恐々。武器を持ち合わせていない当方なす術はない。カッコいい仕事をしている人やオシャレな人たちの集まりに間違ってお呼ばれしようものなら気後れして窒息死3秒でドロン、気体になりたいと本気で思う。

いつからそんな風に思うようになったかは定かではないけれども、恐らく幼少期の大人たちからのまなざしが“震源地”であろうと思っている。昔から妹たちが容姿を褒められているときに「お姉ちゃんは勉強ができるから」とか「愛嬌があれば女の子はOKよ」とか「親しみやすい顔だよね」などと、周囲の大人たちに“慰められて”育ったので、暗に可愛くはないのだという思考がインストールされた(と思っている)。

鏡に向かって毎日100回以上練習して習得した「仮面のような笑顔」 

今となっては容姿以外に“できた”ことが多すぎたのだと勝手に折り合いを付けているし、そのことをとりたてて恨んではいないけれども、つい最近まで容姿の自信のなさを引きずっていた。「可愛いね」と褒められることもなくはなかったけれど、「愛嬌で下駄を履かせてもらっているんだな」と真に受けず、男女問わず人間にモテたかったので愛想よく立ち居振る舞うことに一生懸命心を砕いてきた。私の、張り付いた仮面のような“モンロースマイル”は、顔の美醜のジャッジから逃れてサバイブするための盾。だから正直なところ、笑顔を褒めてもらってもそんなにうれしくない。中学生のとき、鏡に向かって毎日100回以上練習して習得した顔なのだから、良くて当たり前なのだ。

そんなわけで長らく容姿に自信がなく、肩をすくめて上目遣いに話すことがすっかり板についた私だったけれども、“あるできごと”をきっかけに自分の中の矛盾に気づくことになる。それは、何げないひとことが引き金になり、火花のように炸裂した。

謙遜スパイラルに、ぶち込まれた一言にキレた

数年前のある夜、私はバルで男の人と飲んでいた。どういう間柄だったか忘れたけれど、たぶん友達の友達で、共通の友達が来られなくなったから二人で飲むことになったとかいうくらいの薄い関係だったように思う。

薄い関係ならではの、味がとっくになくなったガムを惰性で噛み続けるみたいな会話のラリーを続け、かと言って自分から面白い話題を振れるわけでもない。

年が10つくらい上の“かつてのイケメン”が気を遣って話してくれる武勇伝を聞きながら、「へぇ~、すご~い!」「やっぱイケメンは違いますね~」と同じ相槌を打ち続ける不毛なやりとり。ビールを飲んでも舌が干上がる。だいたい私は容姿に自信のある人が男女ともに苦手だ。きっと私のこともどこか小バカにしているのだろう。と、発酵した被害妄想が皮膚を食い破らんとするのが目に見えたのか、先方は慮ったように「自分だって可愛いじゃん」と言ってきた。

お心遣いありがとうございます。でもね、こういうのはいらないんだ、こういうのはいらない。もう面倒くさい。今すぐ帰りたい。今すぐ蒸発したい。さもなくばお前が蒸発しろという気持ちで私は解散への最短ルートを脳内で検索した。

適当に相槌を打って、ビールを飲み干し、「帰りましょうか」と言えば、パーフェクトに解散できる。相槌としては、「え~っ、うれしい!」とか「そんなこと言われたことないですよ~」などが適当。したがって、私は「え~っ、うれしい!そんなこと言われたことないですよ~」と模範解答のダブルコンボで応じたのだけれども、「うそうそ、自信あるくせに~」と言われて「ないですよ~」とエンドレス謙遜スパイラルに陥って沼。そんな最悪の展開に、とどめを刺すかのごとく、先方がこう言った。

「え~、でも君、自分で思っているより“は”可愛いと思うよ?」

その瞬間、私の脳みそは急騰、煮立ってすが立った。

「今……思っているより“は”って言いましたか……」

恐らくは血相の変わった私の、絞り出した声を聞いて、先方は驚いていた。

「え、待って? 怒ってるの? だって、自分で自信ないって言ってたじゃん? おかしくない?」

おかしい。確かに、私もそう思った。さっきまで私は自分に自信がないと言っていたし、本当にそう思っていた。でも、なぜだろう。私は今、めちゃくちゃにムカついている。

自分でも混乱してしまって、その場では何も言えずに、逃げ去るように帰ってきてしまった。けれど、辻褄の合わない感情をそのまま吐き出したとしたら、こうだろう。

「さっきは自信ないって言いました。自分は可愛くないって本当に思ってました。だけど、今あなたに“思っているよりは”って言われて心底腹が立ちました。矛盾しています。だけど私は、今確かにムカついています。だから謝ってください。私に、謝ってください」

「自信がない」の因数分解が必要だった

それから私は、自分の感情を解きほぐすのに、しばらくの時間を要した。

念のため弁解しておくと、悪いのは相手の男性ではないと思っている。「思っているより“は”」と言った彼の言い回しには角があったと思うけれども、自信がなさそうにしている人を本当に励ますつもりだったのかもしれない。実際に「自信がない」と言っている人に言える言葉は「そんなことないと思うよ」の派生形しかなく、それがたまたま「思っているより“は”」だっただけの話だ。

だから、あの場で何か悪かったことがあるとすれば、私が「自信のなさの所在を知らなかったこと」がゆえに「自分の価値づけを他人に委ねたこと」だったと今振り返って思う。

たぶん私は、自分の容姿をそれなりに気に入っていたのだ。ただ、他人(バルにいるときであれば相手の男性)が気に入るかはわからない、という点で“自信がなかった”のだと思う。それなのに、それらの感情を一絡げにして「自信がない」と言い、相手に価値づけのボールを渡してしまったために軋轢が生まれた。私は私自身の絶対評価にまで触れられたくはなかったのに。

だから、あのとき、「自信があるくせに」と言われたときに、私が言うべきは「私は自分の顔はけっこう気に入ってるんですけど、モテはしないかもですね」だったのだ。そう言えていれば、「めちゃくちゃ可愛いじゃん!」と全肯定はされずとも、「思っているより“は”可愛い」などと言われ“侵犯”されることはなかったように思う。問題は、私が抱く私への印象までもを相手に明け渡してしまったことなのではないか。

自分の感情のお庭を耕してバリケードを立てる

 もちろん、相手が自分に対して「可愛い」と思おうが「ブス」と思おうが、それは相手の感情で、相手の持ち物だから変えられない。そんな状況下でも、“私”の私への印象だけは守ることはできる。

かつて、容姿に関わらず「あなたってこういう人だよね」というレッテル貼りに悩んでいた時期、少し年上の友人にこう言われたことがある。

「ちゃんと自分のお庭を耕してる?ここからは私のお庭だから入らないでね、ってバリケード立ててる? 草がボーボーに生えてたり、バリケードがなかったりしたら、公道と間違えて入ってきちゃう人がいてもおかしくないよ」

踏み込まれてから言い返してもいいけれど、できることなら予め線引きをしておけたほうがお互いに平和だ。

「万人受けしない=自信がない」ではない

私は私の容姿がけっこう気に入っている。そばかすも、二重じゃない目も、けっこう気に入っている。でも、それが万人受けしないことも知っている。だからと言って、それは自分に自信が全くないことにはならない。

「自分で自分が可愛いと思えていたら、他人にどう思われようが関係ないはずだ」という考え方は、私にはちょっとストロングスタイルすぎるけれど、自分のお庭と公道の間に線を引いて、看板を立てて「入らないでね」と知らせることくらいはできる。それに、自分の容姿をお庭だと思うと、慈しむ気持ちになれる気がするのは気のせいだろうか。

illustration :Ikeda Akuri