虚無感。

この言葉と初めて出会ったのは恐らく何かの小説だったと思う。
たぶん、意味を考えずに、気にも留めずに、読み進めたはずだ。

でも、今、たぶん、私はこの「虚無感」というものを感じている。
人からはそんな風には見えないだろうけど、確かに感じている。
無理に元気を出そうと鏡の中の自分に笑いかけてみても、何のために笑っているかも、誰のために笑っているのかも、わからない。

スケジュール帳を開くとほぼ毎日予定がある。
会う人がいる。話す人がいる。仕事がある。やることがある。
なのに。何なのだろうか。何をしていても満たされた感覚がない。

甘いものが好きだから食べてみようか。すぐに食べ終わって、残る虚しさがいやだから、食べない。
SNSでも開いてみようか。時間がすぐに溶けていき、虚無感を超えた嫌悪感におそわれるから、と言いつつまた時間を溶かす。
そんな感じ。

誰にでもあると思う。気持ちが何となく落ちちゃうこと。

今年、私は大学を卒業する。
就職は先延ばしにした。自分で資金のメドを付けられたので秋から中国に行く。
やらなくてはいけないことは沢山、たくさん、あるはずなのに、どうしていつものように、「よし!」と気合を入れて目の前の仕事に向き合えないのか。
なぜか、と自分に尋ねるのは答えを知っているからだと思う。たぶん。

誰にでもあると思う。気持ちが何となく落ちちゃうこと。
後輩や友人に「そういう時どうする?」って相談されるとき、あんなに一生懸命どうすればいいはずって、アドバイスする癖に。なぜか今は人に言うことが自分で出来ない。

いつも私は人に言ってる。
「理想の自分を考えてみて、そしてそれに近い実在する憧れる人を探してみて。あんな自分になりたいって思うだけでわくわくするし、その気持ちがあると身のこなしも言葉遣いも自然に変わるはず。遠くにある理想の自分と今の自分を小さな階段で繋げて、一段一段登っていこう」
頑張れよ、自分。

生ぬるい空気が流れるトンネルの中を歩いている気分

たぶん、外から見た私はこんなに、うじうじした人じゃない。
外資系コンサルから内定をもらいながら中国のトップスクールの大学院に進学する。海外にしょっちゅう出没してる人。「バリキャリ」という意味が分からない言葉を何度人に言われたことか。

でも、今、私は外の春の日差しを眺めながら、何をしたら気が晴れるのだろうかと考えながら、悶々としている。今日のこれからの予定も行くのが面倒…のような、ようじゃないような。

いずれは元通り、いつもの自分になるだろう、ってわかっているけれど突破口が見えない。生ぬるい空気が流れるトンネルの中を歩いている気分。

人にこの感覚をはなしても「あなたにもそんなことがあるのね。なんか安心する」くらいの返事しか返ってこない。

自分で自分を幸せにする方法しっておかなきゃ

仕事だけじゃなくて、何かを達成することだけじゃなくて、何でもない日に自分で自分を幸せにする方法しっておかなきゃいけないな。
楽しむ時をしっかり楽しみ切れる人にならなきゃいけないな。
と思いながら、トンネルの中に光がさすのを待ち続ける春を感じる日曜日の昼下がり。