「接客業を受ける気はないの?」
就活の面談で、企業を斡旋してくれる大人はこう言った。
わたしは目を伏せて答える。
「正直に言って、人間があまり得意じゃないです」
この答えにひとしきり笑って、彼はいいね、と親指を立てた。「面白いじゃん。もっと自分を出した方が魅力的だよ」。その彼が紹介してくれた会社は、盛大に「大家族主義」を謳っていたのだけど。

他人の恋路をあざ笑う娯楽を、即興で考えついたみたいだった

人間が苦手になった原因は、中学時代の同級生だ。
当時大絶賛いじめられっ子中で、6月のある日に部活の同級生たちが私を囲む。
「〇〇がお前のこと好きなんだって」
「明日告白させるから、付き合えよ」
「断ったら…わかってるよね?」
人の色恋沙汰を演出して何が楽しいんだかわからなかったけれど、他人の恋路をあざ笑う娯楽を、彼女たちは即興で考えついたみたいだった。いじめられっ子に人権はない。別に好きではなかったけれど、わたしは告白にOKを出した。

清廉潔白なお付き合いと言えばいいのだろうか。手をつないだ回数も片手で足りたと思う。携帯を持っていなかったから連絡手段はまさかの文通。内容も本の紹介など他愛もないものだ。友達のままでもできることしか、彼とはしてこなかった。

別れる理由もなかったし、すぐ別れても軽薄と思われそうで、11カ月付き合った。デートはたった二回。いじめっ子たちが言うように本当に彼が私を好きだったなら、煮え切らない私の態度はさぞ不満だっただろう。その点ばかりは申し訳ないと思っている。ゴールデンウィークの中日に、彼から別れを切り出された。
そしてその一カ月半後、彼は法を犯して少年院に入った。

わたしは中学時代に、恋をする方法と、夢と、その両方を失った

田舎の中学校で情報はすぐ筒抜けになった。同情されるとは思っていなかったが、同級生たちに真っ先に言われたのが、「お前も共犯だろ」だった。
正直、それは別にどうだっていい。事実と完全に反する罵倒であれば余裕をもって聞き流せた。問題はその後だ。

「お前、将来弁護士になるって言ってたけど、それで〇〇のこと弁護するんだろ」
これがきつい。夢とか希望とか、大事にしていたものを嘲笑の種にされるのは、どうしても耐えがたかった。不思議なもので、どんな言葉が一番相手にダメージを与えるのか、いじめっ子たちは本能的に知っている。執拗に狙われ続けて半年、わたしは中学生ながら六法全書を読み漁るほど熱中していた夢を、泣きながら手放した。

今のわたしは、要領がいいとは言えないけれど、言われたことはそつなくこなせる方だ。アルバイトも接客だし、そこでの評価もいい方だと思う。でも、接客を仕事にするにはあまりにも人間を恐れていた。

人当たりがいい方なのは、「気が合わない」と思われたら攻撃を仕掛けられる気がするから。最大多数に「少なくとも嫌われない」性格を演じているのだ。他人に恋をするなんて冗談じゃない。わたしは中学時代に、恋をする方法と、夢と、その両方を失った。腹の底に巣食った恐れとも憎悪ともつかない物体は、7年経っても減っていく気がしない。

適度に愛敬を振りまいてつまらぬ人間でいることが一番楽

どうしても気が合わない人間は誰にだっているはずだし、距離感さえ違わなければ大きな破綻はおきない。今ならそれぐらいわかっている。ただ、頭で理解するのとそう心得て行動できるのは別だとつくづく思う。結局物分かりよく、適度に愛敬を振りまいてつまらぬ人間でいることが、今は一番楽なのだ。

人間が苦手なままで生きていくのか、それともどこかで折り合いをつけていくのか、わたしにはまだわからない。少なくとも社会は後者を望んでいるはずだし、わたしが後者になるには時間がかかる。だから苦しい。今のわたしは社会に向いていない。
でもいつかは、人間が得意でも苦手でも、目を伏せずに背筋を伸ばして人生を歩きたいと思うのだ。だって、わたしはわたしにしかなれないのだから。