「わたしたちの卒業文集にコメントを書いてくれませんか?」小学校の教員をしていた私に、教え子から手紙が届いた。当時1年生だったあの子たちがもう小学校を卒業するのかと感慨にふけりながら、コメントを書くために筆を持った。

私はこのクラスを受け持ったことを一生忘れないだろう。私は、初恋の人の子どもを担任した。

まさかこの初恋に続きがあるとは

私の初恋は中学3年生のとき。気さくで「良いお兄ちゃん」のような数学のN先生。生徒はもちろん保護者からも人気があった。そんなN先生にいつしか私は恋心を抱いていた。日々N先生のもとへ通う私を、N先生も特別扱いしてくれていたと思う。放課後の音楽室で先生の趣味であるギターを教わったり、他のみんなに内緒でCDを貸してもらったりしていた。談笑が盛り上がり帰りが遅くなってしまったときは、こっそりN先生が車で送ってくれたこともあった。

そんなある日、街中でN先生が女性と一緒に歩いているのを目撃した。翌日、学校で一縷の望みをかけながら「彼女と一緒にいるところ見かけましたよ」と話しかけると「見られてたか!」と先生は照れ臭そうに笑った。「彼女」という言葉、否定しないんだ――私はN先生へ想いを告げることなく中学校を卒業した。その数年後、風のたよりでN先生が子どもを授かり結婚したと知った。

ここまでが私の初恋の話になるはずだった。まさかこの初恋に続きがあるとは。時は流れ、私が社会人一年目に小学校教員として地元の小学校に赴任したときのことだ。

大好きだったN先生からの誘いに私の心臓は高鳴ったけど

4月、入学式。私の目は保護者席にくぎ付けになっていた。保護者席にN先生の姿があったからだ。式後、N先生はすぐさま私のところへ駆け寄り、「まさかうちの子の担任だなんて驚いたよ!出来の悪い息子だけど、よろしくね」と興奮した様子で話しかけてくれた。私も久しぶりの再会がたまらなく嬉しかった。N先生は学校の活動にとても積極的で、授業参観や行事に必ず顔を出してくれた。そのたびに話しかけてくれるのが嬉しくて、「今日はN先生が来るかもしれない」という日はメイクも服装も少しだけ気合を入れて臨んでいた。

そしてそろそろ1年が終わろうとしていたころ、校長室に呼ばれた私は、校長の話に耳を疑った。N先生の子どもが、今年度いっぱいで県外へ転校するというのだ。理由は、両親の離婚。年度末の仕事と転校の手続きに追われた嵐のような3月が過ぎたある日、N先生が学校を訪ねてきた。どうやら急な転校で迷惑をかけたことを校長に謝りに来たようであった。勤務を終え帰ろうと廊下を歩いていると、N先生とばったり出くわした。N先生は少し疲れた顔で笑いながら私にも謝罪の言葉を口にした。

「迷惑かけて本当にごめんね。お詫びに、よかったら今度食事に行かない?」大好きだったN先生からの食事の誘い。私の心臓は高鳴った。一呼吸おいて、私は笑顔でこう答えた。「ありがとうございます。でも、最近忙しいのでまた機会があれば」

私には、N先生以上に失いたくないものがはるかに多くなっていた

ここで「ぜひお願いします。いつにします?」と言えば、またあの日のように、もしかしたらそれ以上にN先生と親しくなれたかもしれない。さらにN先生が離婚した今、私からアプローチをかけても法律的に何も問題はないのだ。しかし、私は初恋を終わらせることを選んだ。法律上問題はなくても、「バツイチ子持ちの男とその子どもの担任だった女」の関係を誰が祝福してくれるだろうか。世間の目、教員としての評判、幸せな家庭を築きたいという夢…私には、N先生以上に失いたくないものがはるかに多くなっていたのだ。

頼まれた卒業文集のコメントを封筒に入れ、ポストに投函した。あの子の卒業を機に、N先生への恋もようやく思い出話にできそうである。封筒を飲み込んだポストの入り口がカタンと音を立てて閉まった。「これでよかったんだよ」と言うように。