「私は全部自分のせいだと考えるから。」
カラッと放った彼女のその言葉を見逃せなかった。それは私にとっては、ドロッとした呪いの言葉だった。もっと話を聞いてみると、それは悪いことだけに限定されていた。なおさらよくない。それじゃあ、罪悪感だらけだ。そのまま彼女に伝えたかったけど、怖くて私の思いは宙ぶらりんになった。誰かに異を唱えるのは、歳を取る度できなくなってきた。
悪いのは全部自分のせいと考えるのは呪いだ
彼女のように考える人は少なくないと思う。私の弟とか、他の友達とか、前にバイトしていたところの先輩とか、そんな風に考えていたような気がする。私はこの呪いに「悪いこと全部自分原因論」と名付けた。無意識にかかっている人もいて、それはことさらによくない。
これは呪いだから、解かなくちゃいけないと、私は思う。だって、苦しいから。だって、自分のことも自分のいる世界のことも勘違いするから。じゃあ、なんで人はこの呪いにかかるのかな。きっとそれは楽だからじゃないのかな、と私は考えた。いろんなことの原因が知りたい人は多い。特に、悲しいことや苦しいことや辛いことは。でも、原因がわからないことが多い。すると、モヤモヤしちゃう。そこで、原因を自分にすれば、モヤモヤはなくなる。その悪いことは完結する。自分が悪い奴だと思い込む苦しみと、他の事情にもやをかけることを引き替えにして。
学生時代の私の呪いは、今までずっと彼女のお守りだったのかもしれない
時に、この呪いを美しいという人がいる。そして、人に呪いをかけようとしてくる。私が小さい頃、時々そんな大人が近くに来て、呪いを口にした。TVや本の中でもそんな人に出会った。私はまんまとかかり、自分を追い詰めた。クラスメートに酷いことを言われた時や、リーダーシップを取ることになった出し物の準備がうまく進んでいかなかった時、いつも自分が悪いと思い込んで、自分を責めた。苦しかった。自分のことが、どんどん嫌いになった。罪悪感に苛まれる中、私は高校を卒業する前、この呪いに気がついた。それから、私は解くことに必死になった。必死にならなきゃ解けなかった。だいぶ解けた今でも、その残り香みたいなものが私の体から離れていかなくって、日々格闘している。
私はあの時、彼女になんて言えばよかったんだろう、と時々考える。彼女は、自分の大きな夢へ向き合い続け、そのための努力を惜しまなくて、パートナーとの関係も長い間大事にして、お世話になった人への恩を忘れない人だ。私は、彼女の志の高さを、出会ったあの日から尊敬している。でも、彼女はその呪いを頑なに信じていた。その呪いを否定すれば、彼女を否定するかのように感じた。私はなんて言えただろう。私の呪いは、彼女のお守りなのかもしれない。
「自分原因論」は間違ってない。ただ、もっと自分に優しくなって
自分原因論は、間違っているわけではない。ただ、「全部」というのが問題なんだ。「悪いことだけ」というのが問題なんだ。1つの見方ではあるけど、それ以上でも以下でもない。そのことに気づいてほしい、彼女に、彼に、あの人に。今、多様性が大事にされていて、それは優しいことだと思う。その多様性が、自分自身にも必要だ。自分に優しくなろうよ、もう少しだけ。おごりたくないよね。でも、時々自分に甘くてもいいじゃん。甘すぎて溶けないくらいに生きていこう。
彼女はこれからも、私が呪いとはねのけた「悪いこと全部自分原因論」を大事に持っていくんだろうなと思う。それも1つの選択で、それは彼女の個性を尊重することで、多様性を重んじることになるのかもしれない。でも、「悪いこと全部自分原因論」に基づいた話を、彼女が私にした時は、そうではない可能性も伝えたい。ただ、彼女が私のように苦しまないように、願わせて欲しい。そして、もしいつか、彼女がそれを呪いとして弔いをする日が来たら、一緒に祝杯をあげたい。