こんなこといったら私がわからない誰かに負けたようなもんだ。
それでもいわずにはいられなかった。
これは私の小さな、でも大事な告白である。

私だけ“大学生”の階段を昇れていないような気持ちになった

大学に入ると、新入生の間で”彼氏”とやらが3か月以内に出来ない女の子は「生ゴミ」と言われるという噂がまことしやかに囁かれた。この都市伝説に踊らされ、会話は誰が付き合って、誰が誰を好きとか。最初は新しい世界を聞いて楽しもうと努力していた。

そして私は正真正銘の「生ゴミ」になった。べつに「生ゴミ」と呼ばれることもないし、こんなことを気にしたのは最初のうちだった。けれど、私だけ“大学生”の階段を昇れていないような、身に着けるはずの共通言語が、私にだけそなわっていないような気持ちになっていった。

「好きな人いるの」
「彼氏いるの」
「何人と付き合ってきたの」
最後の質問をされることは今までなかったが、彼氏の有無は質問において最も手軽で最も仲良くなりやすいツールのように、使われた。そして私が本当のことを打ち明けるたびに、悲しい反応をされた。

「いい人できるって。焦らなくてもいいよ」
は?いつかでき“なきゃいけない”ものなの?

「え、バンドサークルだよ?何かあるでしょ~(笑)」
それでも何も出てこない私に絶句し、
「え、まじ?それほんとなの?一個もネタないってあり得る?」
逆にそれしかネタないのかよと今なら言い返してやりたい。

「なんかこんなこと聞いたらめちゃくちゃ失礼だと思うんだけど、何か思う当たる原因はある…?」
悪魔の返答である。友達として仲良くできると思ったのに。奇妙なものをみるように、興味本位だけの言葉に友人として彼への好意の糸が完全に絶えた。会えることなら冷や水を頭からかけてやりたい。

「今はいないけど、前に1人…」

たかが23年間恋人が居たことないだけで異常扱いしてくる。いっそいるフリをしてやろうかと思ったけど、世の中の意味わかんない流れに屈したくなくて本当のことを胸張って言うようにしていた。でももう耐えられなかった。

その日は突然訪れた。
大学4年の夏、10年ぶりに小学校の頃の友人たちと会う約束をとりつけた。
学年で20人ほどしかおらず、6年間同じメンバーで過ごした私達は時間を取り戻すように話した。久しぶりに顔を出した私を温かく迎えてくれたみんなが嬉しかった。そんな時、例の言葉が飛び出した。
「みんなはいま付き合ってる人いるの?」
避けられない流れだった。みんなそれなりの歴史をかたり、ついに私の番がまわってきてしまった。ここで「いない」と言ったらどんな反応がくるのか。記憶が一瞬のうちに蘇る。

「今はいないけど、前に1人…」
絞り出した答えに、友人たちは食いついた。どこのひとか、年齢はいくつか、別れた理由はなにか。全てを定型文でそつなくかわし、次の人にまわってくれた。よかった。

「私はできたことないんだよね。今もいないし…」
私の次の番だった友人Bが言いにくそうに答えた。その言葉に気にしなくていいんだよ~!!!という励ましの言葉。予定調和な励ましの言葉のように聞こえるが、私が今までいた中で一番明るく嫌な視線のない空間だった。少年少女の大切な6年間、泣いたり笑ったりして過ごした仲。お互い全てを知らなくても、ありのままを受け止めてくれる。私はそんなことも忘れていた。

私は、いつしか自分で自分に呪いをかけていたんだな

ああ。友達にまで打ち明けられなくなっていたんだ。みんなを信用できなかった。悪意や興味にさらされる視線なんて、なかったのに。
そのあとBと話しても「chikaは1人でもいたんだから大丈夫だよ。私のがやばいし」の言葉にずきんときた。やばいことなんて一個もない。私もそうだよ。結局そう打ち明けられずにその会はお開きとなった。

私は、いつしか自分で自分に呪いをかけていたんだな。
彼氏という言葉を一番嫌っていた私は、一番彼氏という言葉にすがっていたのかもしれない。Bと会う機会がなく、いまだにこのことが訂正できていない。

自分のことを胸はっていえないなんておかしな話だ

恋人が出来た今でも「彼氏」という言葉が嫌いだし、恋バナを自分から話すのは得意じゃない。それでいい。もう嘘はつきたくない。
だからこんな風に告白をしている。
これは自分への戒めである。

自分のことを胸はっていえないなんておかしな話だ。私を好奇の視線にさらしたいならそうすればいい。そして今ならいえる。23年間彼氏がいなかったことを不思議がる人々に「じゃあ適度な異性愛交友の人数って、あるんですか」と。