小学三年生だったころ、周りの友人には当たり前に毎日家に帰ってくるお父さんがいて、
夏休みになると遊びに行くおじいちゃんやおばあちゃんがいて、お正月になると顔を合わせるいとこがいた。
でも私には何一つなかった。
物心ついたころから家にいるのは母と姉と私の3人で、父は週に一度帰ってくるだけだった。
親戚の存在はまるで聞いたことがなかった。
理由を教えてもらったことはなかったし、学校で他人の家庭事情を聞くまでそれが普通のことだと思っていた。
それが普通じゃないとわかってきても、
お父さんはきっと仕事が忙しいから別のところに暮らしていて、
おじいちゃんやおばあちゃんはもう死んでしまったからきっとお母さんは話したくなくて、
お父さんにもお母さんにも兄弟がいないからいとこはいないんだ、と思うことにした。
お父さんとお母さんはどうやって知り合って結婚したんだろ?
学校で男の子を異性として意識し始めた私たちは、「好きな人いる?」「いつ結婚したい?」なんて話を休み時間のたびにしていた。
自然と「お父さんとお母さんはどうやって知り合って結婚したんだろ?」という疑問がわいてきた。
いきなり二人のなりそめを聞くには、小学生ながら今の家の状況を見て気が引けたので、聞きやすい質問にした。
夜になって、お風呂から上がり洗面所の鏡を拭いている母に、「ねぇ、お母さんの旧姓はなに?」と聞いた。
そしたら母は一瞬動作を止めて私から目を反らし、ほんの少しだけ間を開けて、呟くような小さな声で「鈴木だよ」と言った。
私は顔を背けた母の様子に少しの違和感を感じたけど、母の知らない部分を知れた嬉しさのほうが勝った。
翌日にはクラスの友達に、「うちのお母さんの旧姓は鈴木だって~。よくある苗字だった!」と話した。
ただ、そのときの母の姿と声は大人になってからも私の頭の隅に残っていた。
違う日に父が帰ってきて一緒にお風呂に入った。
父は私たちに怒ることは決してなくて娘に甘かったので、母よりも突っ込んだ質問をしやすかった。
なので父に「お母さんとの初デートの場所は?」「どこで出会ったの?」などを聞いた。
答えはあんまり覚えていない。確か初デートの場所は公園だったかな。
そして最後に、「お父さんとお母さんの結婚記念日はいつ?」と聞いた。
父は「うーん」と言って、「お母さんの誕生日の4月26日だよ」と答えた。
その後、母の誕生日に結婚記念日のプレゼントをあげようとしたことが何度かあったけど、毎回なんとなくやめた。
小学生だった私がした質問の答えは全て嘘だったんだ
小学校を卒業して何年か経ったあと、じつは父と母は結婚していなくて、父には本妻がいることを知った。
小学生だった私がした質問の答えは全て嘘だったんだと知った。
二人が答えを出すときに、一瞬の躊躇いがあったことの辻褄が合った。
こどもは敏感ってよく言うけれど、確かにあの時何かを感じ取っていたんだ。
お母さん、一人で抱え込んでつらかったよね。
お母さんは上手に嘘をつけない性格だから、作り笑いもできずに、日本で一番多い苗字を言うのが精一杯だったんだよね。
お父さん、お父さんはお母さんに比べるとそんなに苦しそうに嘘をついていなかったね。
けど誕生日っていうのもベタすぎるよ。
結婚記念日のプレゼントを買わなかった私に感謝してよね。
だってもしそれを買って二人の前で渡したりしたら、これ以上もない嫌味になるでしょう。
そうならなかったのも女の勘が働いたってやつかな。
正直に言うと、これらが嘘だったんだって気づいたときは悲しかったよ。
こどもだからって何で嘘ついたり誤魔化したりするの?って。
でも大人になってわかったよ。
とてもじゃないけど、まだ小学生の自分のこどもにそんな事実は言えないよね。
私も大人になればなるほど、本当のことを言えなくなるよ。
お母さんとお父さんが、小さな私を守ろうとしてくれた
当時のお父さんとお母さんがどんな気持ちで嘘を言ったのかはわからない。
きっと20年もたった今はもう忘れているよね。
でもお母さんとお父さんが必死になって闘ってて、小さな私を守ろうとしてくれたことを私は覚えているよ。
これからは一緒に何でも相談しあって前を向いていこうね。
嘘をついてくれてありがとう。