子どもの頃、わたしはいわゆる「いい子」でした。
言うことをよく聞いて、悪さをしない子どもでした。
少し変わってると言われていたけれど、決してはみ出すような行いはしませんでした。
本当は、なぞり書きなんて好きではないのに、「はみ出すのはいけないから」と思って、きれいに、言われた通りに書く……そんな子どもでした。
間違わなければ、はみ出さなければ、わがままを言わないいい子であれば、幸せになれると思っていました。
それでも……
なぜなのでしょう。
無理をすればするほど道は狭まり、息は苦しくなるばかり。
鏡に映った姿は、いつしか、顔色が悪く、背は自信なさげに丸まって、悲しいほどに醜くなっていました。
おかしいな。
真面目にやってきただけなのに。
身勝手なことはしないよう、気をつかってきただけなのに。
まるでそれこそが「間違いだった」とでもいうように、わたしは、わたしのあり方を見失っていました。
悪い子だと指をさされないよう、自分に対して嘘をつき続けていた
わたしはどうすれば幸せって感じるんだっけ。
そもそも幸せってなんだっけ。
深呼吸ってどうすればできるんだっけ。
どうすれば味わって食べられるんだっけ。
長い睡眠を重ねてもすっきりとした朝は訪れず、ノイズにまみれ、光にまみれ、まるで他人のような笑顔を作って、今日を生きた実感のないまま一日を終える。
本当は、自分の好きなものくらい自分がよく知っているはずだったし、今どうしたいのかも、これからどうなりたいのかも、よく心得ていたはずなのに、はみ出さないよう、悪い子だと指をさされないよう、ちいさな嘘を自分に対してつき続けていたのです。嫌だという心の声には耳を傾けず、自分をだましてここまで来てしまった。
でもその結果が今のぼやけた日々ならば、わたしはあまりにもかわいそうな愚か者ではないでしょうか。
好きなものを好きと言い、素直な愛を素直なままに育みたい
大人になって、「……なんだか自分らしくないな」と感じる仕事をしながら、思うのです。
ゆっくりしたい。
自分のペースで息をしたい。
追われて、息を忘れるのではなくて。
豊かに思考を深めたい。
知恵と愛情のある人になりたい。
答えのない問いを延々と繰り返すのではなくて。
わたしはわたしに嘘をつきたくない。
好きなものを好きと言い、素直な愛を素直なままに育みたい。
ねじ曲がったプライドを持って、眉間にしわを寄せているのではなくて。
わたしからわたし自身へ伝えるの感謝のメッセージ
わたしは、わたしに戻りたい。
そうして、わたしにごめんねと言い、こう感謝を伝えたい。
いつも頑張ってくれてありがとう。
あなたは、怖がらず、いつも春みたいな気持ちでほがらかに、楽しいと思えることを純粋に楽しんでいいんだよ。
深く、あたたかな愛情で人に接していいんだよ。ぬくもりは、人に与えても自分からなくなったりはしないものなんだよ。
そして、自分に対しても愛情を惜しまなくていいんだ。
あなたはあなたを大切にしていい。
自分の「好き」を信じていい。
恨みを、支えにしなくていい。
できなかったことを悔やまなくていい。
今やってきたささやかな幸福感に、一切を忘れてしまってもいい。
自分の心の声に従っていい。
美しいものに感動していい。
泣いてしまってもいい。
心にふたをして、なかったことにしなくていい。
きちんと、悲しんでいい。
くやしかったーって叫んでいい。
それから自分を抱きしめてあげればいい。
そうして、ひとつずつ、幸せを思い出していきたい。
朝の冴えた水の中に、昼間のぬくい陽だまりの中に、夜にとけこんだ自分自身の影の中に、幸せを見つけていきたい。
向こうから人が来たら、幸せをおすそ分けをしてあげたい。本当の幸せは、分けても分けてもなくならないものだから。
でも、わたしがわたしの幸せを取り戻しても、そこにいるのはまだまだ不格好なままのわたしかもしれない。
だけどもう、平気だよね。
「へへへっ」って笑って、外に出かけて、嘘をつかずに素直な心で生きていけているはずだから。