あれは中学1年生の夏だった。

新しく、通学路に1台の自動販売機ができたことがある。それから、中学校を卒業するまで、同じオレンジジュースを見るのが日課になっていた。どうしても気になってしまう。それには深い理由があった。最初は"期間限定"と書いてあったから、買いたくなって、見るようになっていたと思う。しかし、そんなに高いわけでもないし、家に帰れば飲めそうなオレンジジュースだし、パッケージが大して可愛くて惹かれるわけでもない。

なんでもないジュース。ポップにある期間限定の4文字が好きだった

ただ"期間限定"と、ポップな吹き出しを使って書かれているだけ。

この4文字が好きだった。だって、今しか買えないかもしれない。もしかしたら、とんでもなく美味しいかもしれない。この文句を掲げるものには、そんな過剰な期待を寄せてしまう。わたしは優柔不断かつ限定物に弱い。そのため、1週間ほど決断を寝かせていた。月曜日から木曜日まで、自動販売機の前で悩んだ末に、結局、買わずに帰っていた。

「限定じゃないなら、どうでもいいわ」。購買意欲は完全になくなった

ところが、金曜日に異変に気が付く。期間限定が秋限定に切り替わっていた。さすがに不思議に思った。というか、失望に近い感情を抱いた。嘘をつかれていたのではないか。「ていうか、オレンジなのに秋限定って、意味分かんない!」勝手に過剰な期待を寄せていただけなのに、そんな風に思った。そして、飲んでもないのに、買ってすらないのに「限定だから買おうと思ったのに」と、憤慨した。

そのとき、ふと「限定だから買おうと思ったのに?」と、自分自身のことばに疑問を抱いた。冷静になって考えてみれば、なんて上から目線なことばなのだろう。"期間限定"キャッチコピーがなかったら、あのオレンジジュースを眺めることもしなかった。興味すら湧かなかったかもしれない。

だって、何の魅力もなさそうなオレンジジュースだから。

期間限定が秋限定に変わった瞬間に、購買意欲は完全になくなった。「限定じゃないなら、どうでもいいわ」 そんな気持ちである。ただ、今度はいつまで限定と言い続けるのか、この商品をいつまで置き続けるのか、ということが気になってきた。友達もいなかったから、要するに、登下校中は暇で暇でしょうがない。とにかく人間観察や、風景を観察していた覚えがある。

そうすると、どうだろう。秋が終わって冬になっても、秋限定だった。そうして冬が終わって、わたしも中学2年生になって、夏になると期間限定に戻っていた。それから卒業するまでは、期間限定と表示されたままだった。

意味が分からない。わたしのように、初めて見た限定に弱い人に売れていたのだろうか。夏になった頃、同じように見ていた人がクレームを入れたのだろうか。真相はよく分からない。ただ、これだけは確かである。たった一度も、その自動販売機から買う気になれなかったということ。(もちろん、オレンジジュース以外の飲み物も同様)

"閉店セール"からの"改装オープン"と同じようなことなのかも

これは信用問題である。そういえば、近くに"閉店セール"と大きく看板を掲げた1週間後に"心機一転!改装オープン"と書いていた、洋服屋さんもあったっけな。改装オープンと言っても、配置を変えて、新しい商品を入れたぐらいなんだけれど。あれと同じようなことかもしれない。

近所に住んでいる人は知っているから、本当にほしい人しか買わないものの、通りすがり人はウキウキで店に入って買っていく。それが頻繁にあると知ると、買った人はどんな気持ちになるのだろう。ちょっと考えてみて欲しい。

こういうことがあったから、いまは"期間限定"や"セール"と謳っているものは「限定じゃなくても本当にほしいのか?」と、自分自身に問いかけてから、買うようにしている。そうすると、物持ちが良くなったよ。