膝上20cm、チェックのスカート。
白いカーディガンは大きめがマスト。
第一ボタンは絶対に開ける。
だけど第二ボタンは絶対に開けない。
だらしがなく見えるから。

それが高校時代の戦闘服だった。

あの頃、若さ故か根拠のない万能感に包まれていた。
もちろん「鼻の下にでっかいニキビができた」だとか「気まずくならずに告白を断るにはどうしたらいいか」だとか色んなことに全力で悩んでいた。
だが「今の私はだめだめだけど可能性はどこまでも広がっている!」とぼんやりした確信があった。
今思えば羨ましいくらい調子のいい脳味噌である…

そんな私は高校の制服が大好きだった。
中学校のクソダサい制服の反動で高校選びの第一条件を「制服がかわいい」にしていたくらいなので。
私も友人達も遊び心をたっぷり抱き、制服を通して自分の魅せ方をああでもないこうでもないと研究していた。

当時から私には駅前の横断歩道やらで就活生を見かける度にバッファローの群れを思い出す妙な癖があった。

それから「あの中には入りたくないなぁ」と心中、呟くのだ。

しかし、いよいよ自分の番が巡ってきた。

いやはや時間は残酷だ。

わかっているのに。今の就活の在り方に反発心を拭い切れなくて

ポニーテールは振り子時計。
漆黒の鎧によく似合う。
パンプスの靴音は逸る心臓。
靴擦れは勲章である。

そう、これが私たちの戦闘服。

私は不思議に思う。
学生服もリクルートスーツも均一化を目的としたアイテムなのに捉え方が180°違ったから。
リクルートスーツに制服のようなときめきは皆無で、窮屈な塀に囲まれた気分になる。

それはあの頃と状況が変わり、「何者にでもなれるまだ何者でもない私」の賞味期限が迫っているから。
「何者かになる」ことを求められるのはキツい。

もう一つは「個性」を要求されているのに「外見で個性を出してはいけない」ことに対する純粋な「?」
グッピーみたいなワンピースを着るのも、スティーブ・ジョブズのように決断する労力を服装に使わないという合理的なポリシーのもとリクルートスーツを着るのだってなんでもアリだと思うのだが、就活市場には選択の自由もない。

このように私は今の就活の在り方に反発心を拭い切れないでいる。

それはもう、側から見れば鼻で笑われるような下らないプライドだろう。

わかっているのに。わかっているのに。

私がやるべきなのは群れの一員になって、
足並み揃えるフリをして、
周りの奴らがちょっと気を許した隙に
バレないように自分だけ一歩前に出し抜けることだって
わかっているのに…

特にセミナーや説明会といった全身お揃いコーデの大学生達がひしめき合う場では上手く呼吸ができない。

その原因は、私の中でバッファローにカテゴライズしてしまった人々に、
ひとりひとり名前があって、
好きなお寿司のネタがあって、
どういう事をされると嫌な気持ちになるのか…
そういった語りきれないところが山程あるにも関わらず、
そこに目が向けられなくなっている自分への失望かもしれない。

そして彼らの目に映る私もまたバッファローなのだろうと考えると自分が全くつまらない人間のように感じる。

そのことへの恐怖だろう。

友達に「就活なんて嘘つくのが当たり前だから」と思いっきり笑われて

見た目だけではない。

内定者のエントリーシートを眺めていると、
「私は居酒屋のアルバイトでバイトリーダーを任されており、売り上げを〇〇%伸ばした経験があります!」
「私は観光サークルで代表を務め、活動参加率を〇〇%上げました!」等々、「凄いなぁ」とため息が出るものばかりだ。

ところがこの話を友達にすると
「何言ってるの。就活なんて嘘つくのが当たり前だから」
と思いっきり笑われてしまった。

インパクトのある見出しを従える就活生が強者なんだと否応なく知らされた。
それから私は萎んだ自尊心を悟られないように「そうだよねぇ」とふにゃふにゃの笑顔を作った。

その後、私も新聞の一面を飾るようなトピックスを用意しなければ!と息巻いた。
そして唯一真面目に取り組んできた不登校支援のアルバイトについてこう語った。
「担当した生徒全員の現状に変化があり14名中11名が現在学校に復帰し、支援を卒業しました。その功績が会社に認められ、パンフレットにインタビューが掲載されたこともあります」と。

このセリフに嘘は一つもないのだが、美味しくも不味くもないお菓子のプレゼンテーションを必死こいてやっているような感覚だった。
きっと私にとっての当たり前を当たり前に積み重ねたら勝手に付いてきた数字や偉い人からの評価を魅力的に思えなかったからだろう。

結局、私はあれこれもがいてみたがどうしたって芯までバッファローに染まることはできなかった。

学んだのは私にとって「自分を偽る」行為は、たとえそうすることによって人に認められたとしても「自分をさらけ出して人に拒否される」より自分を傷つけるということだけだった。

ああ、私はこんなことを胸張って話したい訳じゃない。
私が本当に心の中でガッツポーズをしたのは気の強い親と対等に話せなかった子が「ギター教室に通いたい」と親を説得できた!とキラキラした目で報告してくれた時。
自分の思い通りにならないとすぐに手が出る子が飛び出しそうな右腕を左手でぐっと抑え込み、「言葉が当てはまらない」と悔しそうに泣いた時。
それから一緒に趣味の悪いパンクロックで変なダンスをして、広辞苑を広げ感情よりは有限だけど腐るほどある言葉の海原を冒険した時。

もういいや、この話してみよ。と思った。
しょぼいと判断されるのでは?と怯んだが、どうにでもなれ!と勢いに任せた。
些細だけど宝物に近い私だけの特別なエピソード。

これがびっくり。
武勇伝もずっと聞いていると飽きてくるのか面接官が食いつく食いつく。
自分の言葉で語れたなら「優秀」と評価されるかはわからないが、面白がってはくれる。
意識が変わった。

これは上手くいくかもしれない。
ならば一層の事と思い立ち「嘘は付かない」というマイルールを決めた。

働きたい理由が自然と浮かぶ企業のみを受けることに。すると…

その一環として、志望動機を頭を抱えて絞り出そうとしていた企業の選考を全て辞退し、
働きたい理由が自然と思い浮かぶ企業のみを受けることにした。

面接では戦闘服は選べないけれど、
私の口から出る言葉は誰にも制御できない!私は今、「うんこ!!!」と大声で叫ぶことだってできるんだぞ!というモチベーションを保っている。

これがなかなかいい。

心の衛生上もよいし、選考先からも堂々としている・人となりがよくわかると言ってもらえることが増えた。

いつの日か日本でも自分らしい戦闘服で就活に挑める時代が訪れるだろう。

それまではせめて私たちの言葉だけは、心だけは、何にも染められないでいよう。

そうバッファローの群れの名のなき一員は仲間たちに呼びかける。

がんばろうな。