私がアルビノメイクというものがあることを知ったのは、人気YouTuberよききさんの動画からだった。「アルビノくらい白くなりたい」と髪を染めた動画で、よききさんは炎上した。

私をアルビノという属性でかわいそうとジャッジするのはやめて

そのときの私は、アルビノは大変でかわいそうだからそんな取り上げ方をしてはいけない、というコメントにひどく怒っていた。当事者でもないくせに、当事者の気持ちを決めつけて話を進めるな。当事者の気持ちは当事者にしかわからない。それに加えて、アルビノが"容易に触れちゃいけないもの"になることも嫌だった。アルビノを創作の題材にしてもいいし、アルビノくらい白くなりたいとメイクをしてみてもいい。私は、そう思っている。

でもそれは私がアルビノの見た目にはあまりコンプレックスを抱かずに生きてきたからなのだろう。中学生になる前にカナダに行き、ホームステイして向こうの学校にもお邪魔させてもらったことで、世界には様々な髪の色、肌の色の人がいて、私もそのなかの一つでしかないのだと知ることができたから。周囲に髪の色や目の色を褒めてくれる人が多かったから。

それでも、そんな私でさえも、アルビノの見た目へのコンプレックスはゼロではない。何故なら、この見た目を理由にアルバイトを落とされた経験が数えきれないほどあるから。

だとしても、だ。私をアルビノという属性でかわいそうとジャッジするのはやめてもらいたい。かわいそうなんかじゃないし、アルビノメイクを見ても、傷ついてはいない。アルビノメイクの一つ一つを見る分には、全然平気。そう思っていた。そのときは、そうだったんだと思う。

よききさんの動画から数年して、Twitterの海で#アルビノメイク というタグを見つけた。興味をひかれて調べてみると、そこには見事に白髪赤目になるメイクを施した人達ばかりが並んでいた。アルビノ=白髪赤目だけではないのにな、と思った。しかもそこに並ぶのは、白くて綺麗、そうなりたい、尊敬するなどの言葉。

何に憧れるか、何を好きになるかは自由。好きを表現するのも自由

アルビノを"いいもの"として扱っているのはわかったけど、もやもやが取れなかった。
尊敬するって何だろう。生まれつき背が高い人に向かって「背が高いの尊敬します」って言うだろうか。それと同じことなのに。

それに、アルビノもいいことばかりじゃない。難病指定されているし、私は目が悪いし、日焼けを避けなければならないし。

白くて綺麗、と書いてあるのを見る度、「私の髪は白くないんですけど」と思った。アルビノメイク一つ一つはさほど嫌じゃないけど、集合体としてのアルビノメイクがもつ、アルビノとは白髪赤目というイメージが、しんどかったのだ。
ミルクティーブラウンの髪でグリーン系の瞳のアルビノがいたっていい。そのはずなのに、白いことへの憧れのあまり、完全に白くない私を透明にしてしまう、アルビノメイク。

だからと言って、アルビノメイクをやめてほしいとは思わない。当事者の立場からアルビノメイクをやめてくれと言う人がいてもいいけど、私はそれは言わない。何に憧れるか、何を好きになるかはその人の自由だし、好きを表現するのも自由だ。そうして表現した"好き"の集合体であるアルビノメイクにもやっとするのも、私の自由だ。

いろんなアルビノメイクがあるし、真っ白なだけがアルビノじゃない

ただ、アルビノメイクと銘打ってメイクをするなら、アルビノについて知ってほしい。一昔前と違って、今はヒトのアルビノについても情報発信している人が何人もいる。その人達の写真などを見れば、アルビノ=白髪赤目ではないことに気づくはずだ。その上で、白髪赤目のアルビノメイクをしてもいいし、金髪や茶髪のアルビノメイクをしてもいい。
個人的には金髪や茶髪のアルビノメイクも増えてほしいなと思っている。真っ白なだけがアルビノじゃないから。
でもきっと、アルビノメイクをしている人達は白さの象徴としてアルビノという言葉を使っていて、本当にアルビノを理解したいわけじゃないんだろうな。