気づかない、知らないフリをしたい。そんな事実が世の中にはあることを、何度か実感しました。
それでも、変化を望むなら逃げてはいけないんですよね。いくら一人で落ち込んだって、しょうがないんですよね。
どんな現実を目の前にしても負けずに強くいること。わたしの経験や考えたことを言葉にしてみること。
ちっぽけなわたしにでもできることを一つでも増やせていけたら。
忘れもしません。
入試の面接で男性の面接官に投げかけられた質問に、わたしは面食らいました。その人、笑顔で「女医さんって出産や育児で辞めちゃう人がいるんだけど、あなたは仕事を続けますか」と聞いてきたのです。
本当にこんな質問をされることがあるなんて。用意していた回答はどこかに飛んでいってしまいそうでした。
そのときは冷静に笑顔で答えたつもりですが、「わたしが女だからって、舐めた質問しないでください」本当はそう言いたかった。口が悪くてごめんなさい。
でもわたしには「女だから、あなたもいつか仕事を辞めるんじゃないの」と、そう聞こえた。見下されている気分にもなった。その質問は、わたしが女だからしたんでしょ。わたしが女じゃなかったらそんな質問はしてこなかったんでしょ。
冷静に取り繕う裏で、悔しさや怒りが湧き出てくるのをわたしは感じました。わたしがどれだけ医者になりたくて、がんばって勉強してきたか。医者として働くことにどれだけの意欲を持っているか。それを知らないんでしょ。
結局わたしが言いたかったことは何も伝えられず、煮え切らない思いを抱えたまま試験会場を去りました。
女だからって勝手に決めつけないでほしかった。わたしの覚悟を甘く見ないでほしかった。
突きつけられた”事実”。社会がこんなにも不公平だなんて。
医学部入試における女性差別が明らかになったときも、わたしは大きなショックを受けました。本当だったのか、と。
「女医の中には出産や育児で仕事を辞める人がいるから、大学は女子学生を欲しがらない」という話は、誰もが聞いたことがありました。
でも正直、わたしはあまり気にしていませんでした。「男女関係なく成績が良ければ受かる」「性別で入学者を決めるだなんて、そんなこと行われているわけない」「昔の話でしょ」そうやって思い込んでいたから。
でも実際は、同点の男女がいたら男子をとっていた。不合格で悔しい思いをしている女子より低い点数の男子が受かっていた。そういうことが起きていたんですよね。
”疑惑”が”事実”であることがわかったとき、泣き虫なわたしの目には涙が浮かびました。社会がこんなにも不公平だなんて、知らなかった。思いたくもなかった。
自分の頭の中がお花畑であったことに気づかされ、絶望しました。現実から目をそむけ、疑うことすらしなかった浅はかな自分が惨めに思えました。
ハッとしました。わたしだって、黙認していたうちの一人だったのでは。
半泣きで恩師に話をしに行くと、彼は「わかっていたのに、黙って何もしなかった僕らもいけなかったんだよね、ごめんね」そう言いました。
「女性差別があることなんて知っていた、今更だよ」なんて諦めた態度をとる人の声に違和感を感じてモヤモヤしていたわたしの心に、恩師の言葉が響きました。そしてハッとしました。わたしだって、黙認していたうちの一人だったのでは。気にしないようにしていたのは、自分が傷つくのを防ぐためだったのでは。
しかし、目をそむけたくなる現実こそが、直視しなくてはならない現実だったのです。
わたしに足りなかったのは、間違いに向き合う強さ、間違っていることを間違っていると言葉にする勇気でした。
女性だからといって妥協する人生なんて送りたくないから。
わたしは現実に向き合うことにしました。女性の立場がどのようなものであるのかを知り、考えていきたいのです。
知れば知るほど、絶望するかもしれない。考えれば考えるほど、わからなくなるかもしれない。
それでも、向き合っていきたいと強く思います。女性だからといって妥協する人生なんて送りたくないから。
こうして強くいられるのは、社会が不公平だからかもしれません。負けたくないと思えるのは、女性だからといって可能性を潰そうとしてくる人がいるからかもしれません。
わたしは“女性だから”踏ん張っていけるのです。