私は小説がかけない。
私が小説をかけないのは、自分がたくさんいるから。

少女Aが少女Bを邪魔して、妨害して、殺しにかかる。
本当の自分がAなのかBなのか、それともXかYかZか。
みんなそれを探しているみたい。

だけど残念でした。
A to Z 自分でした。
A to Z 揃ってるからじゃない。
A to Z ひとつずつが自分でした。
だからまとまりがない。儚い。脆い。
ザコい。ダサい。愛しい。愛しい。愛しい。

私は小説がかけない。誰かひとりの主観で綴れない。

その未完成そのものが私でした。
だから私は小説がかけない。誰かひとりの主観で綴れない。
はじめは主人公ひとりの物語だったのが、いつしか何人もの主観が渋滞する。
自分の話のはずが俯瞰し始める。かけばかくほど薄っぺらくなる。言葉が言葉の意味を持たなくなる。主観が客観になる。

文章がかけないということじゃなかった。違った。
"求められるものがかけない" だった。
主人公はいつだってわかりやすくないといけない。主人公ちゃんはこういう子ですって道筋を立てないといけない。
みんな、この人はこう。あなたはそういう人って決めつけたかった。相手を固定して自分の優劣を見出したかった。

誰かの変化を許してくれる人は少なかった。
さっきまでと矛盾する台詞を放つ主人公なんて誰も望んでないみたい。
序章から最終章まで同じ目線で描かなきゃいけない。
他人の変化は恐怖と同じ意味だった。
いつしか「あなたはそんな人じゃない」って相手を抑制する。強要する。
不安定なものに嫌悪を感じる。自分勝手な不安のいどころを相手のせいにする。

本当は自分がブレブレな点Pなのに、グラフ自体がぐにゃぐにゃであるかのように。
そう捉えないとやっていけなくなる。ある一点にとどまろうとする。あなたはここにいてくださいって押し込もうとする。

私は小説がかけないけど、それがたくさんの自分と向き合えてる証拠

ああそうか。私は自分の不安定さも、他人の変化も怖くないんだ。全然怖くないんだ。
私は小説がかけない。
私は小説がかけないけど、そのことがたくさんの自分と向き合えてる証拠なんだ。自分を愛してるということなんだ。
誰かに求められる私じゃなくて、私のための私でいられているんだ。
なんだそうだったんだ。

悔しいな。悔しい。かきたい小説がかけない。
名作を読んではため息をついて、感動しながら泣いた。物語の美しさと惨めな自分に泣いた。
筆を走らせた。それはたった校庭半周分にしかならなかった。悔しいな。どうしてこうも無力なのかな。

愛しいな。愛しい。うぶで苦しい私を抱きしめたいな。誰かに向けてかくんじゃだめだったんだ。自分に向けた言葉だけが誰かの心に突き刺さるんだ。それは知らないうちに。見えないところで私の言葉が誰かを救うんだ。

"未完成で愛しいあなた"という者だから

誰かから見た自分だけで生きている人がたくさんいる。それが本当の自分って言い聞かせながら嘘の笑顔を貼りつけている人がいる。最初は意図的でも、いつからか無意識になる。無意識に自分で自分を縛るようになる。泣くことも忘れてしまうようになる。

そんな人に伝えたい。
未完成でいい。未完成を愛しなさい。
惨めで悔しいね。次の日生きるのが大変だね。
本当の自分がわからなくなる。何者にもなれないと途方に暮れる。
でもね、でもそれがもうね。
"未完成で愛しいあなた"という者だから。
あなたの未熟さは特別だから。一番愛しいものだから。