「本当リア充だよね」そう言われるたび、
「え、そんなことないよ!」と言いながら内心にやにや。そうなの、私リア充なの。
絶対に現役で大学に行った人たちよりも楽しんでやる
ツイッターを始めたのは、大学に入学するちょっと前。浪人中はSNSを一切やっていなかった私は、すぐにはまってしまった。引越しの準備期間に始めてしまったものだから、それはそれは荷造りが捗らなかった。
最初は人のツイートを読んだり、リプライを送ってやりとりだけしていたのだけれど、そのうちにどんどん投稿するようになっていった。入学当初だったので、新歓でドライブや飲み会、旅行など、どこかに行っては写真をあげた。「リア充だね」「友達多いね」「愛されてるね」、そう行った言葉を聞くのだけが生きがいだった。
人に媚びたくはないくせに、人からの憧憬や羨望が大好物。
一切人に合わせたりしたくはないのだけれど、だからといって孤独にはなりたくない。
私は私で好き勝手生きているから、そんな私を見て、いつも羨んでいてね。
ちょっとだけ、浪人したことがコンプレックスだったのかもしれない。だから、絶対に現役で大学に行った人たちよりも楽しんでやる、いや本当はもっと醜い気持ちで、見返してやると思っていた。
人の目を気にする私と、私が好きだった人と幸せに生きていた彼女
いいね!の数やフォロワーの数を数える生活。どこか羽を伸ばしに旅行に行きたい、よりも、ツイッターやインスタに載せるネタを探しに行くために旅行に行きたい。最近投稿するネタないし、どっか行こうかな。そんなんだから、旅行に行っても、ずっと携帯をいじっている。そんな生活をしていた。
それはそれで楽しかったんだけれど、ハマればハマるほど、自分より楽しそうな人、フォロワーが多い人はどれだけでもいた。その人達にずっと劣等感を抱えていき、時には憎らしく思うようになった。
私がSNSの投稿をやめたのは、私が好きだった人の彼女の投稿を見たときだ。あまり投稿するタイプじゃなかったのに、ある日水族館の写真が投稿されていた。
「記録より記憶に残したいから、写真はあまり撮らないけど、あまりにも綺麗だったから思わず撮っちゃった」
その時、「負けた」と思った。きっといつも写真なんて滅多に撮らないで、2人だけの時間を楽しんで、今を楽しんでいるんだろう。投稿するときも、他の誰のためでもなく、自分のためなんだろう。私はひたすら人の目を気にして投稿していた横で、彼女は私が好きだった人と幸せに生きてたんだな。もちろん、私のことなんて歯牙にもかけずに。
SNSがあったからこそ出会えた世界
それから半年くらい、ツイッターもインスタも投稿をやめてしまった。そしたら、自分をちゃんと生きれるようになった。
今までは、どこかの誰かが自分を映画で撮っているような気分だった。「おいしい!」有名なパンケーキ屋さんで、パンケーキを口にする前に、そんな投稿することもなくなった。インスタ映えしなかろうが、美味しいものは美味しい、他の人に伝わるようにツイッターで書けなくても、楽しいときは楽しいのだ。
SNSは、やっぱり疲弊することもあったけど、素敵な出会いがあったのも確かだった。なぜか心が強く惹かれる絵を描く方。落ち込んだときに励ましてくれる言葉。美味しいお店。SNSがあったからこそ、行った場所も、会えた人もいる。自分の人生の選択肢を広めてくれることもある。
自分のために、使うSNS。付き合い方にさえ気をつけておけば、人生を豊かにしてくれる。
これから先も、自分のためにSNSと付き合っていこう。