わたしは、呼吸をするように、いとも簡単に嘘をはく。
友達に話した、存在しない束縛の強い元彼、
バイトの先輩に話した、実際よりも3人多い経験人数、
デンマークに行った友人は、面識のないただの友人の友人だった。
隠し事をも嘘だというのなら、
知っているのに知らない馬鹿なふりをしたし、もちろんその逆もある。
本当はスペインにも旅行に行ったことがあるけれど、行ったことのないふりをしたし、
本当は自力で探したロンドンのホームステイ先に1人で行ったけれど、それは言わずに父の中学の友人の家に泊まった、と言った。(実際にお父さんの友人には1日観光案内はしてもらったのだけれど。)
心の感情を表面化したときのズレも嘘だというのなら、
本当は楽しくなかったパーティの、写真の中のわたしはとてもいい笑顔で、インスタグラムの投稿には楽しかった!!と書いたし、
あんまり好きじゃなかった先輩への寄せ書きには、先輩のことが大好きでした!!と書いた。
わたしは、嘘なんて大嫌いと言える人が羨ましい。
人は、どこまでを嘘だとよぶのだろう。
わたしが今までについた嘘は今ではもう数えきれない。
わたしは嘘をはきすぎて、なんと嘘をはいたのかもうほとんど忘れてしまった。
わたしはどうして嘘をついてしまうのか。
それはわたしを守るためだ。わたしがとても臆病だからだ。
わたしは、嘘なんて大嫌いと言える人が羨ましい。とても強いと思う。
そうして同時に嫌悪感を持つ。なんて傲慢なのだ。
あなたは今まで生きてくる中で、一度も嘘をはいてしまったことはないの?
もしあるのならば、あなたはあなた自身のことを棚に上げて他人を批判していてとても傲慢だし、今まではいた嘘を全て忘れて嘘が嫌いと言えるなんてとても厚かましい人間だと思う。
あなたはありのままの自分を他人に晒すことに一度も恐怖を味わったことないの?
もしあなたが一度もそう思ったことがないのならば、あなたはとても幸運だけれど、それはなんて図々しいのだろう、と思う。
ひとりになったとき、わたしはわたしのはいた嘘に悩まされる
わたしがわたし一人でいる時、わたしはわたしがとても好きだけれど、
あるコミュニティに属した途端、わたしは本当のわたしでいるのがとてつもなく怖くなってしまう。そのコミュニティに適したわたし、そのコミュニティが求める(とわたしが思う)わたしを演じてしまう。そうして嘘をはき続ける。
後でひとりになったとき、わたしはわたしのはいた嘘に悩まされる。
わたしを守るためにはいた嘘がわたしを苦しめる。わたしがその嘘をつきとうさなければ、その嘘をはいた相手を傷つけてしまうこともあるかもしれない。
ボロボロでも、ギリギリでも、わたしは正直に生きたい
嘘はつかない方がいい。誰のためでもない、わたしのために。
そんなことはわかっているんだ。
わたしはいつでも、どこでも、わたしの好きなわたしでいたい。
傷つくことを恐れない。ボロボロでも、ギリギリでも、わたしは私に正直に生きたい。