私の部屋は荒れている。そして、私は生活することが、あまり得意ではない。

仕事はしても、家のことはほったらかした

「いくら勉強ができるからって家のことができないんじゃ、あんたは片手落ちなんだよ」
中学生の頃、母に言われた一言だ。当時はあまりよく分からなかったけれど、とりあえず、私はバランスの悪い人間なのだということはわかった。せっせと家事をこなし、料理上手だった母は、自分からこんなに家事ができない子供が生まれるとは想像もしなかったのだろう。私は子供の頃から言われたとおりに家事ができないことで母をたくさん怒らせてきたし、最初は怒っていた母も、そのうち呆れるばかりになって、ついには何も言わなくなった。

大学に進学して実家を出てからも、男友達からは「お前、家事あかんもんな」としょっちゅう笑われ、それはその通りなので私も笑っていたけれど、言われるたびに、私は勉強はできても、人間としては、きっと不良品の方なんだろうなあと思っていた。すぐ見えるところに埃が転がっていても何も思わないのも、水回りの汚れにも見て見ぬ振りを決め込むのも、物をなかなか捨てられないのも、料理をするくらいなら死ぬと思うくらいの恐怖があるのも、全部、私が不良品だからなんだ、きっと。

社会人になってもそれは変わらなかった。仕事はしても、家のことはほったらかした。休日になっても、出かけるばかりで家のことはやっぱりほったらかした。私の部屋は常に無秩序で、読んでもいない本が至るところに積み重なり、なぜか捨てられないよく分からない小物が転がり、たまに片付けてみてもそれは物の位置のマイナーチェンジが繰り返されるだけで、根本的な片付けには全くなっていなかった。そしてやっぱり私は、そんな部屋に対して特に何も思わないのだった。

この部屋に居ざるを得なくなってしまった

しかしそこにこの日々である。緊急事態宣言が出てから大好きな百貨店も映画館も休業してしまい、仕事もテレワークが導入された。私は、この部屋に居ざるを得なくなってしまった。
一日の99.9%をこの部屋で過ごす、それもほとんど毎日。そして我が社のテレワークは原則、残業禁止。今まで当たり前のように残業をして家に帰ればあとはシャワーを浴びて寝るだけ、の生活が突如としてコペルニクス的大転回を迎えてしまったのだった。

仕事を終えてもまだ明るいままでいる空。見渡せば昨日と変わらぬ荒れた部屋。
何かしようか。散歩、買い物、でもマスクをするのが億劫だ。掃除、さっき掃除機かけたからいいや。料理、やっぱり嫌だ。やりたくないし何も食べたくない。
とこのように、この時間からやれそうな家事的なことを頭に並べ立てては却下を繰り返し、ふと、「お風呂に入ってみようかなあ」と思ったのだった。

こんな自分にはシャワーで十分だとずっと言いつけてきた

私は一人暮らしを始めた大学時代からシャワー派だ。それも第一にお風呂掃除が面倒だからだ。けれどもうひとつ、「こんな自分がお風呂にゆっくり浸かってくつろぐなんて贅沢だ」という思いがずっとあったからだ。だって家のこと何もできないし、人間らしい生活への努力なんて何もしてないし、こんな自分になんてシャワーで十分だと私は自分にずっと言いつけてきた。

でも、お風呂くらいなら今日くらい別に良くないか? 掃除用具は揃ってるし、時間、あるし。

バスマジックリンを吹き付け、空の浴槽の中にしゃがんで大きなスポンジを黙々と動かす。みるみる浴槽は泡立って、足元を滑らせながらも浴槽の四隅を、縁を、コンクの隙間を、私はせっせと磨いていく。シャワーで泡を洗い流し、指を滑らせてみるとキュッと音がして、なんだか気持ちが良かった。コンクを捻ってお湯を出す。私は部屋に戻ってbluetoothスピーカーを取ってきて、ジップロックに入れて鏡の上に置いた。大昔にもらったバスソルトの大袋を引っ張り出してきて、分量がわからないから適当に、豪快に入れた。

できた。こんな私でも、お風呂が作れた。

何年振りかも分からない。
自分で入れてみたお風呂はまずお湯が多すぎて、そして熱すぎた。私は栓を抜いて水を入れ、ぐるぐるかき回し、それでも熱いままのお湯の中に無理やり体を沈みこませるとお湯は今にも溢れそうになった。肌が一気に赤くなっていく。お風呂場が浴槽の湯気に包まれて、その湯気の霧の間から、iPhoneのApple Musicを繋げたスピーカーが鳴らすあいみょんが聞こえてくる。

私は浴槽の縁に頭を乗せて、首の上を揺らめく水の感触と、温まっていく体の感覚をそのままにして、あいみょんの音楽に耳を傾ける。
目を閉じる。ふふ、と笑みがこぼれた。できた。こんな私でも、お風呂が作れた。

部屋は変わらず荒れている。けれどこの荒れた部屋で、私は誰にも知られることなくひっそりと、少しだけ人間になった。