わたしは人生で1度だけ、「死ね」と言われたことがある。
目の前が真っ暗になって、存在の全否定とはこういうものかと思った。気付けば過呼吸になるほど泣いていた。
「死ね」と言った彼女はもともとは仲がとても良い友達だった。お互い自分に自信がなくて、そのくせ他人に不満はあって、いわゆる「短所」の部分が似ていた。いつもわたしたちは一緒にいて、お互いを大切な友達だと話していた。
だけど、関係性はいつからか崩れていって、あなたはわたしに、「死ね」と言った。
「私の理解者みたいな顔しないで。」
「偽善者ぶらないで。」
「ろくな人間じゃないくせに。」
「大っ嫌い。」
そんなことも言われたな。
わたしはあなたにそんなことひとつも言ってない。ただ言われるがままだった。
どうして「死ね」と言われたのか。その背景を振り返る。
何がきっかけだったのか。考えてみる。
わたしたちは専攻が福祉学で、精神疾患についての講義も受けていた。あなたが「鬱病だと診断された」と打ち明けてきた時は、授業で知った相談機関等に行くべきか沢山話しあった。あなたのこころや体が落ち着くためにどうしたらいいのか考えた時、目の前には教科書やレジュメがあった。わたしはそれを読んで、どんな声がけをすべきか、すごく考えて、考えたうえであなたと接した。あなたがわたしに冷たく当たったり、ひどい言葉を言ってくるようになっても、それを「病気の側面」としてわたしは捉えた。だからあなたを責めたりはしなかった。それが最善だと思っていた。
でも、それは間違いだったのかもしれない。
きっとあなたは、わたしに悲しんでほしかったのではないですか。きちんと思いを伝えて欲しかったのではないですか。ただ感情をぶつけて欲しかったのではないですか。「支援者として」ではなく、「友達として」関わって欲しかったのではないですか。「大丈夫だよ、気にしてないよ」ではなく、「友達にそんな態度取るなんて酷いよ、傷つくよ」と言ってほしかったのではないですか。
信じてもらえるかわからないけど、悪意はなくて、ただ真剣だった
わたしたちは「短所」が似ていたけど、わたしはあなたに比べて、それを隠すのが上手かった。わたしはマイナスな感情を周りには知られないように、明るく振る舞うことが出来たけど、あなたははっきり態度に出てしまう人だった。似ているはずのわたしたちが、他人から見ると違うように映る。そのギャップに、必要以上の劣等感をわたしに対して持っているように見えた。あなたがどんな態度をしても傷つかないわたしに、怒らないわたしに、感じたそれはどんどん膨れ上がったのではないかと思う。ましてや「支援者」の顔をして、こうしたらどう、ああしてみたら、と相談に乗るわたしに、あなたとわたしは違うと言われている気持ちになったのでは無いですか。本当にごめん。そしてこれが思いあがりだったらもっとごめん。
信じてもらえるかわからないけど、悪意はなくて、ただ真剣だったの。実はわたしはとても落ち込んでいたし、冷静でもなかったよ。冷静でいるべきだと思い込んでいたの。本当は、悲しくて仕方なかった。汚い言葉があなた自身からでてきたものだと信じたくなかったから、病気から生まれたのだと言い聞かせていたんだよ。
振り返ることなく歩いていってほしいと、勝手ながら願っている
あなたと距離が出来てから、教室であなたの声が聞こえたり、似た服装をした人がいるだけで怯えるようになった。急に涙が止まらなくなったり、当時の彼氏に依存したりした。わたしも精神的に限界が来た。つまり、結局お互い潰れていったね。「死ね」と言われた次の日に、わたしはあなたと一緒に入った部活を辞めた。やめた理由をみんなに聞かれたけれど答えなかった。あの時くらいは、わたしも辛かったこと、届いてたかなぁ。
もうあなたに会うことも連絡を取ることもない。全て過去のことになったはずだよね。お互い今と未来しか生きられないんだし、どうかあなたが振り返ることなく歩いていってほしいと、勝手ながら願っている。わたしは既にぐんぐん歩いているから。わたしはもう、あなたとのこと、乗り越えました。そちらはどうですか。
これからの道は交わることもすれ違うこともないから、安心して生きよう。
「死ね」と言ったあなたへ。生きるっていいよ。