仕事を終えて、スーパーで買い物を済ませ、ひとりで暮らす家に帰ってくる。夜ご飯を終えて、おもむろにスマホを手に取り、SNSを開く。そうしてわたしは、「自分の消費」を始める。

社会人になって、実現できていない「自分」が余っているのに気づいた

社会人になってわかったこと。それは、働くことの本質が、「他者の望みを実現させること」にあるということ。

仕事って、人が、こうしたい、ああしたい、あれがあったら便利だ、って思う願望を叶えることで対価が得られる仕組みになっている。だから、わたしは働いていると、実現できていない「自分」が余っているのに気づく。

本当はこれが好きとか、これは嫌だとか、もっとこだわりたいとか、さまざま心に抱いているけど、「予算が」とか「クライアントが」とか言ってるうちに、そういう自分の実現は二の次、というか、かなり置き去りにしていることが多い。周りの顔色をうかがって、企画の提案でも、小さな発言をするのでも、気に入られているかどうか気にして、他人の評価で右に折れるか左に折れるか決めているときが少なくない。

他人の尺度や好みに従うことで、自分も満足感を得られるのならいいんだけど、そうはならず、叶えられなかった自分が累々と鬱積して、重たくのしかかってくる。あり余った自分をどこかに発散させなくちゃいけなくて、逃げ込む先に決めたのが、SNSだった。

共感狙いではなく、「好きだー!」と思ったら堂々と投稿できる

社会人になって一年目の冬、Instagramで、読んだ本をひたすらアップするアカウントを作った。本にまつわること以外は一切写真を載せないというルールを作って、撮影の仕方も規則を決めて発信を始めた。

投稿をしていくうちに、同じように読書好きな人、SNS上で友だちになれた。好きなものを通じて人と出会えるのはうれしいし、自分がいいと思ったものに共感してもらえることで心が満たされる気持ちがした。

でもそれよりもうれしかったのは、マイナーな本も好きなようにアップできることだった。共感してもらえること第一でアップしているわけではないから、あまり知られていない本で、「いいね」がもらえないだろうなと思っても、「好きだー!」と思ったら堂々と投稿できる。これが仕事だったら、できないだろうなと思う。上司なり、クライアントなりを見ながら、「どうですかね、駄目ですかね」って、下手下手にやってしまう。そうして企画が通ったときには、面白みはすっかり抜け落ちて、「あれ、これ、わたしが思ってたことだっけ?」となってしまう。そういうことがSNSではなかった。

誰にも阻害されない、自由な自分だけの部屋。それがわたしのSNSで、SNSがあるからわたしは自分の気持ちを発露できる。

閉ざされた自分だけの部屋ではないなと思う。もっと開けた場所へ

だけど、アカウントを初めて二年以上、これだけじゃつまらないな、と少し思い始めている。

それは、自分の「好き!」だけでは、人との関わり合いってやっぱり限られてくるなと思ったからだ。「これがいいよ!」って言うだけでは、とにかく「いい」ことしか伝わらない。どういいのか、どうしていいと思ったのか。本の魅力は、「いい」ということ以外にもあるんじゃないのか。

それで、SNSに載せる本の紹介文の書き方を少し変えみた。読んだことがなくてもあらすじがわかるようにしてみたり、どういうところが魅力なのかわかりやすくしたり。そうして、本と、この投稿を見た人の橋渡し役になれればと思い始めた。

そうして気づく。初めは、あり余った自分を「消費」させるためのアカウントだったけれど、他者とつながり、そして他者に働きかけるメディアへと向かっているということを。おかげで、「この本、読んでみたいです!」とコメントをもらえるようになった。心からお勧めしたい一冊に、関心をもってもらえるのは、すごく、すごく、うれしいなと思う。

もうSNSはわたしにとって、閉ざされた自分だけの部屋ではないと感じる。閉鎖的ではなくて、もっと開けた場所へ。たとえば、人と本が出合える広場みたいな場所へ。そういう場所になるように、わたしはSNSを更新している。