「NOと言えない日本人」なんてよく言われますが、最近募集したテーマの中でもたくさんの投稿があったテーマでした。NOと言えなかった過去を振り返っているエッセイも多く、NOが言えずに苦しんできた女性がたくさんいるんだな、と改めて感じました。

では、さっそくかがみすと賞1本と編集部選4本を発表していきましょう!

各タイトルをクリックすると、それぞれの記事に飛べますのでぜひ読んでみてくださいね。

かがみすと賞

◆セクハラから自分をうまく守れない。でも隣にいる人を止める力はある(ひかり

自らのセクハラ被害を克明に綴ってくれたエッセイ。当時の状況やひかりさんの苦しみが伝わってきて、読んでいて胸が痛みます。

結局何をしても有効ではなく、「私が一人前にみられていないからセクハラされるんだ」とただただ悔しくもなった。「なった」ではなく今もそうだ。結局、どう対応するのがいいかは今でも分からない。

セクハラされる悔しさ、そして、じゃあ結局どうすればいいの?という行き場のない感情に共感しました。本当は共感なんてされない社会になってほしいですが…。

でも一つだけ分かったことは、被害に遭っている人が目の前にいたら、私は止められるということだ。当事者が声を出せなくても、隣にいる人には絶対にその力がある。

ひかりさんもエッセイの中で書いてくれていますが、当事者が声を上げるのはすごく難しい。だからこそ、被害に遭ったら声を上げよう、ではなく、周りの人なら声を出せる、という方向に締められているのがとても良かったです。私は加害者にならないから関係ない、ではなく、そういった場面に遭遇したら声を上げよう、と改めて思いました。

編集部選

今回も編集部選として、4本、ご紹介します!

◆歓迎会でセクハラを指摘した。大きな社会の波に飲まれたくない(北山カオリ)

就職先の歓迎会で先輩のセクハラを指摘したという北山さん。その指摘のあとに、先輩や周囲の人がどういう気持ちになったかを想像しているのが印象的でした。

なぜ相手を擁護しようとしているのだろう?とと思いつつも、場の空気を壊したのではないか?入社したての新人が生意気なことを言って失礼なのではないか?でも本当に失礼なのはどっち?いやいや、せっかく打ち解けようとしていた先輩のお気持ちを無下にしたのでは?

私も社会人になって、正論だけではやっていけない、と感じた時のことを思い出しました。会社には年齢も立場もさまざまな人がいて、でも喧嘩したいわけではないし、うまくやっていくのって難しいですよね…。

それでも、「しょうがないよね」で終わりにしたくない。 声をあげることはしんどい。でも黙ることはもっとしんどい。だからまずはここを観察していくことからはじめよう。

会社での人間関係の難しさに直面しつつも、なんとかうまくやっていこう、と前向きな決意表明で締められているのも素敵でした。

◆「行けたら行くね」はもう言わない。気持ちのいい「NO」って?(りあ)

相手を嫌な気分にさせずに「NO」を伝えるにはこう言えばいいのか!と目から鱗でした。友達から遊びに誘われた時、飲みに誘われた時、なかなかNOが言えない…と悩んでいる人にぜひ読んでもらいたいです。

『今日はNetflixを観る日なのでパス。でも誘ってくれてありがとう』。 飲み会に誘われている場面をたまたま目撃した時、先輩はこう言っていた。私は目を丸くした。あの柔らかい先輩でもはっきり言うんだと思うと同時に、こんな気持ちのいい断り方があるなんてとびっくりした。

はっきりと断りつつも、誘ってくれたお礼も言う…たったそれだけなのに、受ける印象って全然違うんだなぁと感動。私も断るのが苦手なので、参考にしようと思いました。

私は「あー本当は行きたくないけど、行かないと〇〇ちゃん怒るかなあ」なんて、相手を気遣うように見えて自分を気にしていた。

確かに、曖昧な返事って相手のことを考えてない自分勝手な発言だったかも…と反省。相手のためにもはっきり断るって大事ですよね。今後のコミュニケーションに活かせる、学びの多いエッセイでした。

勝手にラベリングしてない? 私は「若い女」、だけじゃない(カンダ)

前半は、そうそう、女だからって不快な発言してくるおじさんいるよね!わかる!と思いながら読み進めていったのですが、後半の文章でハッとさせられました。

だって私も、おじさんをラベリングしているじゃないか。おじさんは、「若い女」ラベリングをして雑に扱ってくる脅威だと、私は全てのおじさんにそのラベリングをしてしまってはいないか。

「若い女」ラベリングに憤りつつも、自分が他人をラベリングしている可能性についての想像力が素晴らしかったです。私だって無意識にいろんな人をラベリングしてしまっているのかも、と気付かされました。

だから、私は自分自身にもNOと言う。自分も含む全ての人を、勝手にラベリングしてはいけない。その背後にある、彼らの人間性をもっと想像しなくてはいけない。

だって私も、おじさんをラベリングしているじゃないか。おじさんは、「若い女」ラベリングをして雑に扱ってくる脅威だと、私は全てのおじさんにそのラベリングをしてしまってはいないか。

さらに、いろんな人がいるからラベリングはダメだよ、というふわっとした意見ではなく、「人間性を想像すべき」という具体的な考え方を示しているのが良かったです。

◆祖父のハグは愛情表現。それが分かるから、NOと言うのが苦しかった(高橋ツグミ)

おじいちゃんの愛情表現をありがたいと思いつつも嫌悪感を感じてしまう描写が上手で、読んでいて胸が締め付けられるようでした。

祖父に「ハグをやめてほしい」と言いに行った夜を、今でもよく覚えている。 私は話を始める時からすでに泣きそうで、話を始めるとほぼ同時に泣いてしまった。 泣くほど嫌だった、ということではなくて、「相手の意に反する自分の意思」を表明することが、とても苦手だったのである。

やめてと言いたいけど言えない、でも言わなきゃ、という苦しい胸の内が伝わってきます。

NOというのはたった一言だけど、そのNOは誰かが勇気を持って言ったこともかもしれない。そんな想像力の大切さを教えてくれました。

私は私の「NO」を大事にしたいし、私の「NO」を大事にしてくれる人を、大事にしていきたい。

最後の締めも素敵でした。
NOと言うのは立派な意思表示。自分のNOを大切に、そして相手のNOも大切にできる人間になりたいなと思ったエッセイでした。

以上、「私はNOと言う」かがみすと賞&編集部選の発表でした!
たくさんの心に残るエッセイを、本当にありがとうございまいた。

現在は「お金との距離感」のテーマでも募集しています。
ご投稿、お待ちしております!