【今回のエッセイ】

身近に戦争を経験した人と会話ができるなら、ぜひ話を聞いてみてほしい。今は興味がないとしても、折に触れて後々思い出すことがあるだろう。戦争の無い時代に生まれた者にとって、当事者から話を聞くことはひとつの義務だと考える。

戦争の話を聞かなかった幼き自分への後悔と、平和への祈り

かおり「戦後を生きた父から教わった大事MANなこと」

益子寺かおりさん(以下かおり):私の父は、いわゆる父親っぽいタイプではなくて、躾として怒ったり、格言とかを言われた記憶はあんまりないんですけど(笑)唯一おチビちゃんの頃に父から聞いた戦争の話は、今でもすごく印象に残ってますね。父は74歳で、ちょうど終戦後すぐに生まれたからか、よく戦争のドキュメンタリー番組を見たり本を読んだりしていたんです。小学生くらいの時に、日本の戦争に限らず、アンネの日記をはじめ人種差別や残酷な迫害の話とか、いろんな国の歴史の話をしてくれて。歴史上の惨事を聞いて、子供ながらにいろいろ考えたり「辛いことだとわかってるのに、どうして人間はそんな酷いことをしてしまうの?」って父に聞いたりしていた記憶があります。

その時の父との会話で特に覚えているのは「人間はたとえ良い人でも、周りや環境に影響されて、悪い人に変わってしまうこともある」「だから、なんでも周りに同調するんじゃなくて、自分の頭できちんと善し悪しを判断して、考えや意見を言えることが大事だ」「言動に責任を持て」ということ。戦争に限らずですが、争いや惨事の根底にあるものは同調圧力や集団意識の暴走が原因のひとつだと、戦後を生きた父は何か思うところがあったのかもしれません。目を背けたくなるような惨事って、避けてしまいがちな話題かもしれないけど、そこを臆せずに子供のころの自分に話してくれたことにはすごく感謝していますね。

益子寺かおりさん ベッド・イン
益子寺かおりさん

日本の戦時は、今と違ってラジオと新聞しか情報網がなくて、みんなそれだけを信じて行動するしかなかったと聞いたのも印象的で。今では情報源がたくさんあるぶん、たとえば今回のコロナみたいに全世界で問題が起きた時、何を信じればいいのかみんなわからなくなったと思うんです。窮地に立たされた時に、メディアや声が大きい人の話だけをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分自身でしっかり“知ること”、考えて判断する力を持たないといけないなぁと、より一層思いましたね。父からはZUTTO通ずる、大事MANなことを教えてもらったんだなと今となっては思います。

実際に戦争を体験したのは昔同居していたおじいちゃん、おばちゃんかな。少し空襲の話も聞いたりはしたんですけど、小学生の時に亡くなってしまったので。投稿者さんのコラムを読んで、当時の話、もっとちゃんと聞いておけばよかったと私も思いますね。

 まい「8月15日になると『今日は終戦記念日だな』って、一瞬背筋がピッとする」

中尊寺まいさん(以下まい):私が覚えているのは中学校の修学旅行で長崎に行った時のこと。4クラスずつに分かれて宴会場で晩ご飯を食べながら、被爆者の方々の体験談を聞く機会がありました。モチのロンで原爆の話をしてくださったんですけど、もうその場にいた全員が食事どころじゃなくなってしまいまして。隣の子が泣きだしてしまったり、気分が悪くなる子がでたり……っという場の空気の重さは今も鮮明に思い出せますね。

当時は「楽しい修学旅行だったのに…」みたいな思いもあったんですけど、いま思えば本当に貴重な経験をさせてもらったと思うし、涙ながらにお話してくださった被爆者の方々の覚悟とお気持ちを思うと胸がいっぱいになります。

身近な人では、亡くなった祖母が戦争体験者でした。学校で戦争の話を身近な人に聞いてくる課題が出ても、おばあちゃんは「思い出したくない」と言って一切、協力してくれなかったし(笑)、「ほたるの墓」が放送されている時は、絶対にチャンネルを変えていました。

どんな状況でも、いつも気丈に明るく振舞う人だったので、戦争の話だけを異常に避ける姿は、子供ながらに考えることが多くて、どんな話を聞くよりも、戦争の悲惨さを感じずにはいられませんでした。祖母は5人姉妹の長女。父親は戦争に出ていて、母親は体弱く、歳の離れた幼い姉妹の面倒をひとりでみてきたようです…この話も本人の口からではなく、妹たちから聞いた話でした。

私の父も終戦記念日には必ず、黙祷していました。それは「日本人としてだ」と。その姿も忘れられませんね。そのせいか、若い頃から、どんなに呑んだっくれていても、本命クンとどんな痛快ウキウキデートしていても「あ、今日は終戦記念日だな」って、一瞬背筋がピッとするんです。

かおり「平和なことが当たり前のように感じるのは、とても貴重で恵まれていること」

かおり:投稿者さんも言っているけど、日本では戦争体験者の方から実際にお話を聞く機会って、どんどん減ってきているのかもしれないね。話を聞く以外だと、私は子供のころに図書館で漫画「はだしのゲン」を読んだのが衝撃だったなぁ…。戦争の恐ろしさや辛い実状を視覚で観て考えたのは、あの作品が初めてだったかも。

まい:「はだしのゲン」は映画も見たけど、トラウマ級だね。今も学校の図書館にはあるのかな?あってほしいけど。

かおり:そういえば、この前バーでたまたま隣になった外国人の方とお話する機会があったんだけど、その方はちょっと前まで中東の紛争地帯で兵士をしていたって言っていました。戦争で大切な友人を亡くしたばかりだと。最初は明るく話してらっしゃったんだけど、写真も見せて下さって、話しながら涙されていて…。

ふだん戦争と縁遠い暮らしをしている私たちは、戦争は過去の出来事のように感じがちですが、世界のどこかでは今現在も、この瞬間も起きていることなのだとリアルに痛感しました。日本で暮らしていると、平和なこと自体が当たり前のように感じてしまいますけど、こうして平和に過ごせていることって、とても貴重で恵まれていることなのだなって改めて思いましたね。

中尊寺まいさん ベッドイン
中尊寺まいさん

まい「なんでもない毎日が、実はとってもリッチなことなんだよね!」

まい:100%So!だよね…今がどれだけ平和で、それが当たり前ではなく、どれだけ幸せなことなのかっていうのは、絶対に忘れちゃいけないことだと思う。

今年は特にSNSなどで、戦争に関する記事を多く見かけた気がしたし、その記事が“バズっていた”のも印象的でした。それって、私たちのような“戦争を知らない子供たち”世代が、海外の方とも関われる「今の時代」だからこそ、なのかもしれないよね。

もっともっともぉ〜っと小さい世界の話だけど、ベッド・インが伝えたいことも大きく括ると「みんなの毎日がハッピーであれ!」ということで、平和への思いは根底にあるのかなって思っています。「NO WAR!」なんて声高にいうことはないですけど、こういう平和な日々が永遠に続くことを願っていますし、なんでもない毎日が、実はとってもリッチなことなんだよね!って。私たちがバカできるって、どう考えても“平和の証”ですしね(笑)

かおり「だから“ジュリ扇”はウチらにとって平和の象徴なんだな」

かおり:正にそうDA.YO.NE~!私たちは世界平和のために何かアクションを起こしているわけでもないし、大きなことを語れる分際でもないと思ってます。だから直接的に歌うこともしていないけど、ウチらなりにチンキングする平和の形が“バブル時代”なのかもしれないですネ。あの頃みたいに、ジュリ扇振って、自分がスキスキスーなスタイルで人生を謳歌しようぜ!っていう。

だから“ジュリ扇”はウチらにとって平和の象徴で、「ジュリ扇ハレルヤ」はウチらなりのPEACEソングかな!?子供からおじいちゃん・おばあちゃんまで、みんなでジュリ扇振れば、未来は明るいよ~!って、君は1000%、本気でそう思ってますからネ♡これからも自由で元気びんびん物語だった、バブル時代みたいな“桃源郷(ユートピア)”を目指してイキますゾ~♡

ミニアルバム「ROCK」発射オーライ

踊れる〝ボディコン・ロック〟をコンセプトに掲げてきたベッド・インが、 より激しく、よりセクシーに、ロック要素を色濃く抽出したミニアルバムを完成させた! 作曲家の渡辺和紀氏、渡辺未来氏とふたりが共同制作して作りあげたベッド・イン史上最もハードなナンバー「We Are BEDIN“」や、 おギグでも大切に演奏してきた「SHOW ME POWER」をマンをジして音源化! ベッド・インの新たなるステージを予感させるオリジナル全5曲。

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