小学生の私に亡き祖母が伝えようとしていた戦争の話

「ねえおばあちゃん、なにか怖い話をして!」
「うーん、戦争のことかなぁ」
これは私が小学校低学年のときに祖母と交わした会話だ。妖怪や幽霊が出てくるような怪談話を期待してお願いしたものの、祖母からの返答は当時の私にとって意外なものであり、同時に期待はずれでもあった。
そのときは「ふーん、戦争のことならいいや」と言って会話を打ち切った記憶がある。
かつてこんな会話をしていた祖母が先日亡くなった。88歳だった。それからふと上記の会話を思い出し、あのとき祖母から話を聞かなかったことを私はひどく悔やんでいる。

終戦時の祖母は13歳の少女であった。今で言う中学1年生くらいの年頃だ。戦時中に多感な時期を過ごすなんて、考えただけでも耐え難いほどの苦痛である。当時祖母は一体どんな光景を目の当たりにしていたのだろうか。「怖い話」と聞かれてすぐに戦争のことを挙げるほど心に負った傷は深く、一生消えることはなかったのだと想像する。

戦争は歴史上のことでも、遠い国での出来事でもない

戦争については学校で習ったし、毎年8月にはテレビで特集も組まれているため概要は把握しているつもりだ。加えて自分でも調べることはあるものの、どこか「歴史上の出来事」という枠で捉えている感覚がある。私が住んでいる地域は目立った戦争遺跡があるわけでもないため、かつての大戦を身近に感じる機会が圧倒的に少ないのだ。

原爆の被害や沖縄での地上戦、激戦地での激しい攻防や各国の作戦・思惑を知ることは、歴史から学ぶ上でもちろん大切なことだと思う。しかしその混乱に巻き込まれた一般市民は、子どもたちは、今の私と同世代の人達は、祖母は、どのように戦時下での日常生活を営んでいたのだろうか。教科書では知り得ない、私の祖母が経験したことを直接聞きたいという思いは日増しに強くなっている。しかし祖母亡き今、その経験は想像することしかできないのが残念でならない。

広島の原爆被害者のうち生存者の平均年齢が83歳だとニュースで目にした。日本人の平均寿命から考えても、当事者の声を聞けるリミットはそう長くない。時間が無いのだ。
戦争の無い時代に生まれた世代にとって、戦争は過去のこと且つ遠い国での出来事と思いがちだろう。しかしよく考えてもらいたい。自分が今生きているのも、厳しい戦禍を生き抜いた世代がいたからだということを。

次世代のために事実を知ることから逃げないでほしい

身近に戦争を経験した人と会話ができるなら、ぜひ話を聞いてみてほしい。今は興味がないとしても、折に触れて後々思い出すことがあるだろう。戦争の無い時代に生まれた者にとって、当事者から話を聞くことはひとつの義務だと考える。戦争体験の伝承は、聞き手も話し手も辛く苦しいものでもある。しかし、どうか知ることから逃げないでほしい。事実を知ることが同じ過ちを繰り返さないための一歩であると信じている。

ねえおばあちゃん、良ければ戦争の話を聞かせてくれる?今なら私もちゃんと向き合えるから。
もう会うことのできない祖母へのお願いは、私の頭の中を虚しく巡るだけに過ぎない。祖母と冒頭の会話を交わしたあの頃の私は戦争と向き合うには幼すぎたが、次世代のためにも知るべきときは迎えている。私も今は戦時中のことについて知る義務を負う一員だ。
かつて知ろうとしなかったことに対するせめてもの償いと恒久平和を祈り、私はこれからも8月15日に手を合わせようと思う。