私は、自分の顔が好きだ。目は大きいし、鼻は高いし、鼻下から唇上部までの人中も短い。他人に褒められる機会も多い。

しかし、私は満たされない。「大丈夫。私は可愛い」とおまじないのように自分に言い聞かせるのだけれど、私はやっぱり自分に自信を持てないでいる。

女子校時代には考えられなかった、みんなからチヤホヤされる感じ

私が容姿を武器に生きていくと決めたのは、大学1年生の春のことだ。ただし、こんなことをいっておきながら、所詮中の上レベルの容姿である。そこのところを念頭に置いた上で、この先を読んで頂きたい。

入学式の後、サークル勧誘を行う上級生の人波にもまれながら、私はカルチャーショックを受けていた。「可愛いね!〇〇部のマネージャーやってよ」「うちのサークルに入ってくれたら、男子部員が喜ぶはずだよ」。お揃いのユニフォームを身につけた男女が、眩しい笑顔で私のことを「欲しい」と言った。こんな経験、初めてだった。私が彼らのような輝かしい人達に欲しがられるなんて、信じられないことだった。

私は、中学・高校の6年間を女子校で過ごした。女子校における私のカーストは、下の上だった。虐められたり、あからさまに馬鹿にされたりする程、下層には位置していなかったが、移動教室の組み分けが変わるごとに「今回は、誰と移動してもらおうか」と頭を悩ませる程には地位が低かった。

何分、私はドンくさくって、暗かったのだ。共学出身の人にはわからないかもしれないが、女子校において(特に中学の間)は、運動神経の良さと性格の明るさがカーストランクに影響してくる。

大学生活では男子を味方につけ、女子校時代より「楽」に生きられた

私の通っていた中学において、生徒間の権力の強弱を決めるのは、所属部活だった。バスケ部やバレー部のような大規模団体に所属する者は、教室でも大人数で集まって騒いでいたし、化学部や天文部のようなマイナー団体に所属する者は、隅の方でひっそり身を寄せ合っている傾向にあった。だから、運動神経が良くて華やかな運動部に所属できる生徒は、上位階層に食い込むのに有利であった。

ただ、そうといえども、運動部以外の女子に等しく人権がなかったわけではない。吹奏楽部のような大規模団体に所属する者は言わずもがな、化学部や天文部の中にも、カースト上位の生徒は一定数いた。そうした子たちは、皆決まって性格が明るかった。先生のモノマネが上手かったり、大縄跳びでミスをしても「ごめんごめん!」と笑って言えたりするような素直な子たちである。

しかし、ここまでのひねくれ気味な文章からわかるように、私は運動神経も悪ければ性格も暗く、女子校においては地位の上昇を見込めないキャラだった。

だから、私は初めて共学の環境下に足を踏み入れ、「顔が可愛い」という至極単純な理由でチヤホヤされることに感動した。特にサークル新歓なんて、新入生を浮かれさせる為のチヤホヤイベントの最たる例である。

私は、女子校でなら話せなかったような明るい学生達に囲まれて「ああよかった、これからはこの顔で上手く生きていけるのだ」と安堵した。そして事実私は、大学生活において男の子を味方につけ、女子校時代より楽に生きることができたのだった。

私は「容姿」に固執して、自分の腐った中身を誤魔化そうとしていた…

しかし、大学4年になって就職活動を始めると、再び私の前に、中の上程度の容姿では乗り越えられない壁が立ちはだかった。チームワークや仲間の大切さなどわからない私は、企業の面接にちっとも通らなかった。

そんな時、SNSで「女子校は、容姿じゃなくて性格や能力が重視される社会だからいいよね」という内容の書き込みを目にし、私の中の何かがキレた。女子校に就職面接…。

私は、中身を問われるとダメだった。私は容姿に固執することで、自分の腐った中身を誤魔化そうとしてきたけれど、社会はそれでは受け入れてくれないようだった。

私には良い性格がない。優れた能力もない。私は、鏡に映るリクルートスーツ姿の自分を「可愛い」と何度も褒めてみたけれど、自分が嫌でたまらなかった。