「ホンマに美人やんな」
「えっ、今気づいたん? 私生まれた時から美しいんやけど」

一見、関西人ならこれで成立するように思えるかもしれない。
しかし要求はもう一段階、上にある。
相手の顔に貼り付いた笑顔から
「はよ謙遜して!」のどす黒い欲求を見抜き、ヒラリと華麗にかわす。

「美人やなぁ」
「いやどこが美人やねん!」

コレが最適解だ。さくっと謙遜し、そして勢いよく笑いをとれたら、いうことなしだ。
関西人は、できればいつも笑いをとりたいし、とれなかったらそれは即ち死を意味する。
そういう単純な生き物だと、私は思っている。
しかし、“美人”というのは厄介で、コミュニティの中でその役割を押し付けられた人は“美人”を演じ続けなければならない。 
そして、なまじ嫌な称号でもないから、手放すのも少し惜しいし、呪いのようなものだ。

高校生の時に知った「美人」「可愛い」の言葉の裏に隠された格差…

私は中学生ぐらいから、ポケットティッシュを受け取るようにその役割を担いはじめた。
つまり、当時はその役割を私の気分で拒否できた。可愛いプリクラを載せるようなSNSもやってない、クラスの男子からはモテのモの字もなかった。

しかも、中学生当時の“美人”なんか、「可愛い~」の鳴き声に「えぇ~そっちの方が!」と返すだけの簡単な任務しか与えられない。

高校に入ると、そうはいかなかった。
入学早々、4月という爽やかで清潔な季節が、こんなにも貪欲な色で染まるのかと舌を巻いた。

そして、私にくばられる“可愛い”のティッシュが、徐々に社交辞令の色を薄めていた。
なんとなく、他人から又聞きで自分の容姿が褒められていたと聞くと「あぁその場のノリじゃなかったんや」と信じてしまう。

男の子たちに可愛いと噂されたのは、ほとんど人生初だった。今までもいわれてはいたが、「ねこちゃん可愛い、ウサギさん可愛い」の延長だったような気もする。

あんなにモテんかった私が、こんなに分かりやすくチヤホヤされるんや。
ほんま、みんなギラギラして大変や。

可愛いと褒める言葉の裏には、この格差社会こと高校のなかであぶれないように、手っ取り早く武器になりそうな友達を作りたいという浅はかで狡猾な考えや、新品の桜色に背中を押されて彼女を作ろうと熱り立つワンチャン狙いの輩の欲望が見え隠れしていた。

ふーん、カワイイって武器なんや。
こんなチヤホヤされても、やりづらいだけやねんけど。

「美人」は大事にされる。一方で、酷い扱いも受けることもある

コンビニの駐車場でオッサンに口説かれた経験が何度かある16歳女子は、きっと多くないだろうし、彼氏はできたことがないが一般的に美人の部類なんだろう。

ありがたい事だが、同時に自分がカテゴライズされたような息苦しさもあった。
贅沢な悩みのようで全く相談できないが、“美人”だからハブられる、敬遠される、事実無根の噂をされる、性的搾取の対象にされる…というような。

人間は、自分より優れている人には何を言ってもいいと思い込む習性があるらしく、それに基づき、美人は大事にされる。一方で、酷い扱いも受けるのだ。

例えば私は、何故か「ヤリマン」と呼ばれていたし、彼氏もいないのに女子テニス部の部長からは「私の彼氏を取った!」と、二股疑惑までかけられていた。 クマができただけで、大声でマウントを取られた。自分のヨレたアイプチは棚に上げて私のクマを気にする女の子はたくさんいた。
これが贅沢な悩みなら、宇垣美里さんの言葉を贈りたい。彼女は愛くるしい顔で「私には私の地獄がある」と呟いた。

「カワイイって罪やわぁ」
と夢見顔で言えるような図太い神経は生憎持ち合わせていない。

しかし、美人扱いを疎ましく思う一方で、顔を褒められないと不安になる自分もいる。“可愛い”のティッシュを受け取りつづけるうちに、いつのまにか“美人”として扱われなくなることを恐れていた。

良し悪しは一言ではいえないけど、今日も私は「美人」の体裁を整える

美人扱いされることが良いか悪いかは一言では言えない。
しかし私が男だったら受けなかったはずの様々な嫌なこと全て、“美人”が原因なら、私は全く得をしていない。むしろ損ばかりだ。

“可愛い”のティッシュをうまいこと断り続けて世渡りをする美人の友人を尻目に、私は今日もトイレの鏡で前髪を整えて、クマをコンシーラーで上塗りして、リップも血色良く見える色を選んで、美人の体裁を整える。

結局、彼氏も本当の友達もまだできていない。