食いしん坊でなければ変われるのに。隠すため努力を惜しまない日々

長い間、自分が食いしん坊であると言えなかった。言えなかったけれど、我ながら本当に美味しそうにものを食べるし、料理は好きだし、食に関する情報収集にはエネルギーを惜しんでいなかったので、今思えば私が食いしん坊であることは火を見るより明らかだった。

なぜ、ずっと食いしん坊であることをひた隠しに(バレバレだったが)していたかというと、自分の体型が全く好きになれなかったから。そしてその原因は食べるのが好きな自分にあると決め込んでいたから。特別に太っているわけでもないけれど、モデルみたいな体型でもない、いわゆる平凡な、そしてありがたいことにあまり病気もしない丈夫な身体だけど私は自分の体型が嫌いで、恥ずかしくて、劇的に変えてしまいたかった。実際、ダイエットドリンクのようなものやエステにもお金を使った。痩せれば素敵な人が周りに集まり、痩せればなんでもうまく行くと思っていた。

食いしん坊なことを忘れたい、私が痩せることに憑りつかれた理由

痩せるために自分が食いしん坊であることを忘れようとした私は、食欲があまりないフリをしたり、すぐにお腹いっぱいと言ってみせたり、デートの時に男の子よりも少なく食べるように意識したり……本当はピザの最後のひときれは私が食べたかったのに。数々の涙ぐましい演技をしていた。体重が500gでも増えると絶望を感じ、1kg減っただけで年末ジャンボが当たったかのように狂喜した。楽しいと感じていた料理も、あまりのめりこまないようにと自分に言い聞かせていた。

痩せなくてはという想いに憑りつかれたのには、いくつか理由がある。というよりも幼い頃からの些細な経験の積み重ねがその強迫観念のようなものを作り上げたのだと思う。小さな頃から容姿を比べる発言をする大人も多かったし(あらららハナちゃんは幼児体型だね~と言った知り合いのおじさんの顔を今でも覚えている)、思春期にプリクラを見ては自分の顔の丸さに落ち込んだ。愛読していたティーン雑誌のダイエット特集を血眼で読み、学生時代はごはんの代わりに豆腐そぼろのようなものを作って食べたこともあった。
人は見た目ではなく中身です、というのは百も承知だし、ネット上で容姿を差別するような発言を見ると、下品だな、と心の中で蔑んだりするのに自分自身に対しては「私は痩せていなくてはだめ。そのためには食いしん坊をやめなければだめなんだ」と追い詰めていった。

自分と向き合えるきっかけになった、食いしん坊の認識革命

ある時、料理研究家の方の講演会を聞く機会があった。「良く食べることは、良く生きること」という言葉も残しているその方の話は、自分が食べるものに関心をもつことが、自分を大切にすることにつながるのだと教えてくれた。それまでの私は、他人の目を通して見た自分のイメージに囚われすぎているあまり、最も根源の部分で自分を形作っている食事への敬意を忘れ、自分自身の目で自分の身体、容姿と向き合うことを放棄していたのではないかと思い始めた。

今、私は食いしん坊であると言えるようになった。食いしん坊=太る、ではなくて、食いしん坊=自分と向き合うことなんだという認識の革命が起きたということもあるけれど、なにより食事や料理を素直に楽しみ、自分が好きなことを好きと言えるのはこんなにも気持ちがいいことなのか、と気が付いてしまった。

あんなに人からどう見られるかを気にしていたのに、自分の好きなことに夢中な今、見た目に囚われる苦しさが減った。「お腹いっぱいですぅ」という演技も必要ない。もちろん、長年刷り込まれた「私は痩せればかわいくなれる」という価値観を簡単に手放すのは難しいけれど、食いしん坊を自認してからの方が体も心も軽やかになった。ピザの最後のひときれもパクっと食べてしまうようになった今の私が、私は好きだ。