彼のことが好きすぎて勉強した占星術。恋愛への努力は無意味と知った
恋に誤った努力を続けてきたという、ライター「美人」。 恋愛は相互のコミュニケーションの上で成り立つものなのに、受験勉強のようにねじり鉢巻きを巻いて、恋の赤本を解こうとしてしまう。 愛の七転八倒の末に辿り着いた答えや、たどり着けてないことを赤裸々ど真ん中に綴ります。
恋に誤った努力を続けてきたという、ライター「美人」。 恋愛は相互のコミュニケーションの上で成り立つものなのに、受験勉強のようにねじり鉢巻きを巻いて、恋の赤本を解こうとしてしまう。 愛の七転八倒の末に辿り着いた答えや、たどり着けてないことを赤裸々ど真ん中に綴ります。
人の心と星の動きは、努力したところでどうにかなるものではない。
恋した相手に執着しまくり努力でねじ伏せようとしていた私が、過ちに気がついたのは星占いの勉強をしたことがきっかけだった。
19歳の頃、私には好きな男の子がいた。寝ても覚めても、彼との関係が気になるばかりだった。連絡が来るかどうかで一喜一憂し、また彼とちゃんと会えるだろうかと、常に発狂しながら占いを見ていた。週に一度の占いの更新が待ちきれなかった私は、いっそのこと自分で占ってしまおうと思った。占星術の勉強をして、彼と私の運勢を四六時中見ていたかったのだ。
私は高校生まで占いを信じなかった。どこかの誰かに、私の運勢を決められるのが嫌だったからだ。好きな人とうまくいくかなんて私が決める、と思っていた。そんな私が占いを信じるようになったのは、ふと思い立って、雑誌の小さな占いからネットの読みごたえがある占いまで、あつめて照らし合わせたことがきっかけだった。
すると、書いてあることや、ラッキーデーがどの占いもある程度一致していたのだ。星占いは、占い師が自分の流儀だけでやっているわけではなく、一定のルールに基づいて行われていることを知った。その時私は、それなら少し信じてみてもいいかな、と思えたのだ。そうして気が付けばすっかりハマっていて、挙句の果てには、彼との行く末が知りたいあまり、自らも占いを学ぶようになっていた。
占星術は、時計の文字盤のように配置された12星座のうちどの位置にどの惑星があるのかで占う。各惑星や星座には与えられたイメージがあり、関連させながら星を読む。
私の「努力」は、もはや魔術の域に達していた。当時、彼の恋愛運はかなりよかった。私は歪んだストーキングメンタルを持っているので、きっと彼の恋愛運がいいのは自分との縁がうまくいくということだと、信じて疑わなかった。しかし、彼のラッキーデーに私と会う約束は入らないし、期が満ちると言われる満月の夜には私の参加しない大学のイベントに行っていた。お願いだから、私以外の女の子との恋愛運じゃありませんように。とお風呂に浸かりながら祈祷した。だけど結局彼は、別の女の子と付き合うことになった。
薄々そんな気はしてたけど、彼の「恋愛運がいい」の相手は、私ではなかったのである。占いはある程度当たっていたし、努力の成果は出てはいたのだ。
困ったことに、占いにおける努力を重ねて私が手に入れたのは「ダメなもんはダメ」という当たり前の真理であった。月が満ち欠けをし、星が動いたり、逆行したりすることは、私の力ではどうしようもない。それと同じくらい他人の気持ちなんて、自分の思い通りにならないものだ。占いは、私にとって自分の思った通りにコントロールできない流れがこの世には存在するということを諭してくれるものだ。あるべき流れに身を任せたとき、自然と縁がうまくいくこともある。水星が逆行している時はコミュニケーションがうまくいかない。思い通りに行かない時は、星のせいにしておけばよいのだ。
世の中、「自分以外」の要素の方が、圧倒的に多い。変えられるのは自分だけだ。そのことを星占いは気付かせてくれる。
突然玉砕告白を仕掛けたり、人を追いかけ回したり、他人の気持ちをねじ曲げようとしたり、独りよがりになったり。愛の悪いクセみたいなものはなかなか治らない。それでも私はそういう自分を知ることで、愛の形が着実に良くなっている気がするのだ。
人間関係において、努力と結果の強要はしてはいけない。ただ、愛の修行には意味があるのかもしれない。同じ失敗は繰り返したくないから、私は上手に愛せるようになりたい。
人の心と星の動きは、努力したところでどうにかなるものではない。変えられるのは自分だけ。
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