就活は見た目で決まる。私は自分の経験から強くそう感じている。
大学4年生の頃、私は就活に苦労した。履歴書を送ったのは約60社。グループワークや面接に進んだのはその半分。さらに最終面接まで進んだのは両手で数えられる程だった。大学時代の私は部活もせず、アルバイトと研究に明け暮れていた。研究室で毎日論文とにらめっこする日々。指導に熱心な教授のおかげで、履歴書の「大学生活で頑張ったこと」の欄には堂々と「卒論」と書くことができた。ゼミ生は女子ばかり。和気あいあいとした雰囲気は心地好かったが、私は自分の容姿にどんどん無頓着になっていった。コンタクトが眼鏡になり、髪はぼさぼさ、服もファストファッションで簡単に済ませる。化粧もファンデーションを塗るぐらいで最低限。毎日髪を巻いて新しい服を着て、ふんわりかわいい笑顔を振り撒くゼミ生もいたのだが、怠惰な私はそうはならず、楽な方へと流されていくのだった。
就職活動で感じた、初対面での顔の大事さ
そんな私に試練が訪れる。就職活動である。黒のリクルートスーツに身を包み、使い勝手の悪い鞄を持ち、歩きづらい黒のパンプスを履く。右を見ても左を見ても同じ服装。内定という砂糖に群がる蟻のように真っ黒で同じ姿。一匹でも蝶がいたら、良くも悪くも目立って白い目で見られる。
では、蟻たちの差はどこにあるのか。それは顔である。本物の蟻の顔に個体差があるのかは知らないが、初対面で顔が与える印象はかなり大きいと思う。それを強く感じたのは、とある企業の社長と座談会を通してメル友になったときのことだった。私はそれまで「研究室での私」のまま就活をしていた。結果は惨敗だった。私は就活という壁にぶつかり、思いきって社長に相談することにした。すると、返ってきた答えは実に簡単なものだった。
「眼鏡を外しなさい」
私は半信半疑で眼鏡を外して面接を受け始めた。すると、一次面接さえ通らなかったのに、最終面接まで進めるようになったのである。自己アピールも服装も変えていない。ただ眼鏡を外しただけだ。
私は自分らしさを顔で受け取ってほしい内面を外に表現する。
顔は履歴書よりもその人を物語る。眼鏡の私は勉強する顔だったのかもしれないが、初対面の人に好印象を与える顔ではなかったのだろう。
それから、私は初めての場所に行くときや初対面の人と会うときには眼鏡を外すようになった。初対面の人に私の中身のすべてをわかってもらえるはずもない。時間が経てば、私の内面を知って、眼鏡だろうがコンタクトだろうが「ただの私」になるのだろうが、初対面ではそうはいかないと学んだ。だから、私は自分らしさを顔で表現する。勉強も嫌いではないが、それよりも見てほしい部分、例えば、活発さだったり誠実さだったり、受け取ってほしい内面を外に表現するのである。それが顔だ。
あなたはあなたらしい顔で生きているだろうか。
人間、所詮は顔である。しかし、それは美人だとか不細工だとかそんな話ではなく、あなたらしさを顔に出すという意味だ。
なぜ女性はメイクをしなければいけないのか、なぜ男性は髭を剃らなければならないのか。あなたらしさが表現できるなら、どっちでもいいのだと思う。ただ、顔が与える影響は思っているよりも大きい。その分、うまく利用できれば生きやすくなるのかもしれない。他人に構われたくないときは化粧をやめてみたり、友達と元気に遊びたいときは色の強いアイシャドウを使ってみたり、気合を入れたいときは赤いリップをしてみたり。異性の前だから化粧をするのではない。他人のために美しく着飾るのではない。私は私のために容姿を整える。私という人間を知ってもらうために眼鏡を外す。
あなたはあなたらしい顔で生きているだろうか。その顔は、あなたの内面を映しているだろうか。ちなみに、今日の私は薄化粧にコンタクトだ。私はこの顔で会社に行く。