どちらかというと、美人と言われる類だと思う。(自分でこういうのは、心底気が引ける。)

もちろんモデルをやっているなんてレベルではなく、
同級生の中ではまあ褒められる方、という程度。
だから「美人」なんて言葉を使うにおこがましいと思うが、
わかりやすいレッテルとして、あえて使わせてほしい。

この美人のレッテルが、「素の私」を柔らかく絞め殺しかけた話をしたい。

容姿を褒められても、即座に謙遜して否定するようになった

中学生だったある日、コンタクトに変えて、眉毛を整えて登校した。
それ以来、友達に容姿を褒められるようになった。

もしかすると「美人」なのかもしれない、という自意識が芽生えてから
ややこしい人間関係を避けたくて、徹底的に謙遜するようになった。

褒められた瞬間、頭がフル回転する。

真に受けてると思われたらダメ。
驕っていると思われたらダメ。

そんな自意識がスパークして、慌てて自虐に走る。

「いやいや、マスクからアゴはみでるくらい、顔長いからね」
「あはは、でもみてこの足、絶望的に短い」

自分の嫌いな所を必死にアピールする。自虐して、自分を落として、安心する。
大丈夫、勘違いした女と思われてない、身の程をわきまえてると思われている。

容姿だけでなく、勉強の成果も、部活の功績も、即座に謙遜して否定するようになった。
いつの間にか、自分に関する話題そのものを煙に巻いて、話をそらす癖がついた。

美人レッテルを貼られ、勝手に失望される

腹を割って人と距離を縮めることも苦手になった。

私を外ヅラ越しに見た相手が、私に何かを期待しているのを感じるのがしんどいから。
相手の理想に歪曲された架空の私、
言葉の端々に潜む“試されている”感覚、
そして匂い立つ、なんか想像してたのと違う、という失望。

すみません、派手な場に馴染めなくて。
すみません、場を盛り上げたりするの苦手で。
すみません、見た目ほど遊び慣れてなくて。

会社に入って尚更、美人レッテルの重圧は辛くなった。
誰かの期待に応えられなくても知ったこっちゃない、無視すればいい。
頭ではわかっているけれど、目の前の人のがっかりを受け止めるのは、それなりに体力がいる。

疲れた私は、いつの間にか「美人であることに気づいていないフリ」をするようになった。
そうすれば「綺麗な子」に近づいてきた人の期待を、見て見ぬふりができる。
外観という自分の大切な一部を無視するのは息苦しかった。でも、慣れた。

気づいたら、自分の好きなところがどんどん見えなくなっていた

私は、人目がある所で鏡を見れなくなった。
時々やることもあるが、すごく居心地が悪いし、早く鏡をしまわなきゃと、とても焦る。

もちろん、見たくないわけじゃない。
でも「私が可愛いかどうかを確認している」と周りに思われること、
「自分を可愛いと思っている」と思われることが怖い。

待ち合わせの前や、誰かがトイレに立っている間、
インカメをのぞいて口紅を塗り直し、ささっと前髪を整える仕草を羨ましく思う。
横目でそんな姿をとらえ、リップまだ残ってるかな、なんて考えながら、
素直に塗り直せないで棒立ちしてしまう。

人から「見られる」自分にばかり意識がいって、私の真ん中はお留守になっていった。

自分を小さく見せることに気を配る癖がついて
気づいたら、自分の好きなところがどんどん見えなくなっていた。

人を魅力的に見せるのは、自分自身が気に入ってるかという「状態」

ある時、友達の写真フォルダを一緒に見ていたら、彼女のセルフィーが出てきた。
「うわ、はず!」といって慌てて隠したそのセルフィーが、猛烈に私の心を掴んだ。
心の底から、可愛いと思った。

彼女がいいかも!と思った、自分の姿。
彼女が気に入っている、自分の瞬間。
彼女が思う「サイコーの自分」を捉えたその写真は、
ピースで笑顔の彼女より、断然尊く、輝いてみえた。

それを見て気づいた。
人を魅力的に見せるのは、造形的な差異なんかじゃなく、
今この瞬間の自分を、自分自身が気に入ってるかという「状態」の差なのかもしれない。

気に入っている自分、サイコーな状態の自分でいる人は、輝いてしまう。
サイコーな自分にチューンアップするために、小さな鏡を覗き込んで口紅を塗るし、
サイコーだった自分を忘れないために、写真で記録をする。
人を見て「あ、いいじゃん」って思った瞬間には、それを言葉にして相手に贈りたくなる。

他人からのジャッジと自意識に囚われていた私は、
自分自身を健やかに育むために大切な時間を溶かしていたんだと、ぼんやりと気づく。

うん、私は美人なんかじゃなかった。
正しくは、美人かどうかなんてどうでもよかった。
どうでもいいけど、私は輝いていなかった。

美人なんて思われたくもなかったけど、
輝いていなかったという事実に直面するのは、悔しい。

自分にとってサイコーな自分で生きていきたい

いまだに、褒められたらなんと返したら良いかわからない。
言葉の端々に「勘違いするなよ」的な呪いを感じ取ったりして、
勝手に居心地が悪くなったりもする。

でも「美人のレッテル」の重圧は薄れてきた。
そんなことよりも「今の自分を気に入ってるか」だけを気にするように心がけている。

寝起きでビン底眼鏡をかけた自分は気に入ってないけど、
外行きのブラウスを着て、しっかり化粧をした自分は、ちょっと気に入っている。
疲れた顔にヨレた化粧をのせて、それでも仕事に爛々と燃える目を持った自分が、
会社のトイレの鏡に映る姿は、正直結構気に入っている。

「美人か否か」。なんて表層的な話だと、心底思う。
そんなことで勝手に生き辛くなっていた私の時間が、勿体無い。

サイコーの自分でいるために、自分自身を盛り上げられる、
自分にとってサイコーな自分で生きていきたい。