お金、大好き。生活に無くてはならないものだし、日常を潤してくれる1つの要素だ。現状私は妊婦で主婦、旦那の稼ぎ1本で生活している。子供は幼稚園児2人、住んでいるのは中古をリフォームした持ち家。毎月ローンを払っている。我が家に車は無し。そして今の私には「お小遣い」というものが、無い。

こんな私が最近自分のために時折家計から払っている「生きていく上で不必要な出費」と言えば、時折発生する微妙に余ってしまった時間を潰すためのカフェ代280円位のものだ。

しかし、それすらも少し前まではケチッていた。幼稚園が家から近いので、1人でカフェに入るということを躊躇して、ただの30分でも家に帰り、1つ小さな家事をしてまた直ぐに家を出るということを繰り返していた。それはそれで良妻賢母というか、節約上手っぽくはある。しかしそれも若干行きすぎて、自分に掛けるお金の使い方を見失う一歩手前になっていた。

「生きていく上で不必要な出費」かどうかは自分が勝手に下すジャッジ

その事に気付いたのは先日旦那に聞かれた一言があったからだ。「いくらちゃん、最近自分のために何か趣味の物買った?」趣味?……特に無い。

そもそも「生きていく上で不必要な出費」って、勝手に自分が下すジャッジである。毎日のカフェで払うお金が、「生きていく上で必要不可欠な出費」となっている人も、世の中には沢山居るだろう。

飲食したいだけならカフェに入る必要はないが、店内で飲食をする人は、付加価値を買っている。暖かい場所で過ごしたい、食事に集中したい、考え事を整理したい、など。有意義な時間をすごす為の対価をお店に払っている。それはある意味当たり前のことなのだが、主婦として暮らしてきたここ数年間で、私が見失ってきたことでもあった。

カフェの紅茶280円は「生きていく上で必要」に変化しつつある

そもそも私は、外食をあまりしない家庭で育った。母は家で落ち着いて食事をするのが好きだった。たまにお祝い事でレストランや、レジャー感覚で回転寿司に行くことはあったが、それはコンスタントな外食体験という訳ではなかった。

私が大学生だった頃、年間108万円ギリギリまでバイト代を稼ぐこともあったし、それは毎日のコンビニ代や趣味のヲタク活動に泡のように費やされて、4回生の終わりの頃には1円も残っていなかった(というか毎月使いきっていた)。しかも当時は実家暮らしだったのだ。そんなこんなで、私は外食に掛けるお金のバランス感覚を学ぶ前に、大人になってしまった。

大学卒業とほぼ同時に結婚し、子持ち主婦となった。私以上に危なっかしい金銭感覚の旦那は、当然(威圧)お小遣い制を強いられることとなった。私はというと、「生きていく上で必要な出費」をその都度家計から支払うようになった。

1人カフェで飲む紅茶はここ数年「生きていく上で不必要」というジャッジのもと、生活から追いやられていたのだが、最近それが覆り、「生きていく上で必要」という判決が改めて下されている。

一人で過ごすカフェの時間にどんな価値を見出すか

お金の管理って、性格が出ると思う。特に、月々の外食にいくら使うかというのは、その時々の家計の逼迫具合や、時間の使い方にもよるし、家事を担当する人の状態や、働いて収入を得てくる人の意見にも左右される。1人で過ごすカフェの時間に払う代金などは、その最たる例ではないだろうか。

「私は主婦だけど、お小遣いは分けて別の財布に入れたい派」という方も、世の中には多そうだ。一方私は、家庭のお財布としてひとまとまりになっているところから個人的なお金を払う方が、バランス感覚を保てるタイプなのだと思う。

また、「共働きならまだしも、主婦でカフェに入って時間を潰すなんて考えられない」という価値観で、家計を支えているという方もいるかもしれない。それもめっちゃ分かる、ちょっと前の私もそうだったから。

私もまたその価値観に戻る可能性はある。主婦だっていつまでも続けられない、数年後にはまた仕事を始めなくてはならないということも考えているからだ。

メディアで流れてくるのは未来が不安になるニュースばかりだし、自分の子どもの将来、夫婦の老後など、先のことを考え始めたらキリがない。それらに備えて今順調に貯金ができているかと言えば、あまりそうは思えない。

先々の金銭面に関して完全に安心しきって暮らしている人なんて、日本中探しても、一握りしかいないんじゃないだろうか。

カフェで今しか過ごせない個人の時間を過ごし、また日常に戻る

しかし、私が日中カフェで紅茶を飲めるようになったのは、赤ちゃんだった次男が幼稚園に通うまですくすくと育ってくれたからだし、春先迎える3人目の出産後はまた、自由に使える1人の時間は遠ざかるだろう。

「お小遣い」のない私が紅茶に払う280円は、将来を考えない無駄な出費なのかもしれない。それに、「カフェに行くのが趣味」と言うほどには、その少額の出費は心許ない。

しかし私はカフェで、今しか過ごせない個人の時間を過ごし、店を出たらスーパーに寄り、幼稚園にお迎えに行く。穏やかな母として、妻としての日常に戻る。そう思うと、280円の元は確実に取れている気がする。

結局私はカフェで何杯紅茶を飲もうとも、ケチな思考回路からは抜けだせない。これでこそ生粋の主婦だと思って、もうこれはこれで、受け入れていこうかな。

優雅ではないし裕福でもない私は、今カフェで、お茶をしている。