私の地元は、周辺の近県の中でも比較的観光客に人気の県だ。
特に夏は全国でも有名な祭を見る為に、他県から大勢の観光客が押し寄せる。
普段はすっかりゴーストタウンと化している、街のメインストリートである商店街。
住んでいる人口のわりに道幅だけは無駄に広いあの通りが、毎年その日だけは虫も通れないほどの人ごみで埋まる。

学生の頃、毎年夏に身近に感じていた祭の時期独特のそわそわとした浮遊感。
ほぼ毎日のように降る夕立が、通学路のアスファルトを濡らす。
水分はすぐに蒸発し、むわりとした熱気にさらなる湿気の追い打ちを掛け、街全体の浮かれたような空気にも拍車を掛けていた。

さらに自然だけは腐るほどある田舎なので、海の幸も山の幸も美味しいものは有り余るほどある。
なんなら、お酒のクオリティだって全国に誇れるレベルだ。
人柄も愉快な人が多く、楽しいことが大好きな県民性は確かに私の中にも受け継がれている。

そんな地元の街から離れ、隣県で暮らし始めて今年でちょうど10年。
地元は確かに好きだ。あの街に生まれた事を自慢として人に話すことももちろんある。
けれど私は、地元に帰って暮らしたいと思ったことは一度もない。

この街に面白いものはなにもないと思っていた高校生の私

地元に暮らしていた頃の私は当時まだ高校生。
高校時代の私は、とにかく鬱屈した日々を送っていたように思う。
中学受験を勝ち抜き中高一貫校に通い始めた私は、入学当初華々しく中学デビューに失敗。
その時に追いやられたクラス内のカーストの下の方で、6年間の青春時代を消費することとなった。

そんな私にも好きなことがあった。音楽を聴くこと、ドラムを叩くこと。
軽音部すらないこの高校で、どうにかバンドを組んで活動してみたい、とずっと思っていた。
けれど自分がカースト下位であることに強い自覚があった私は、そんな目立つような行動を起こすことなどできない。
カースト上位の人たちに、「あいつ調子乗ってるよね」なんて思われたら終わりだ。
同じ学年にいる300人の同級生に自分がどう思われるかということを、当時の私は酷く気にして恐れていたから。

今でも地元に帰ると、私は街を歩きながらふとした瞬間に探してしまう。
長くも短くもない、ちょうど膝丈に折ったスカート。
気持ち程度の個性を主張した、金色の靴紐を通した白黒のコンバース。
ポケットに突っ込まれたMDプレイヤー、耳をずっと塞いだままのイヤホン。
この街に面白いものはなにもない、と、独りで俯いたまま歩き続けるブレザーの制服を着た女子高生の頃の私を。

自分の地元が素晴らしい土地であると、地元を離れて知った

地元に戻ると、そんな地味で面白くない昔の私に戻ってしまうのではないか。
私はそれが怖くて、一度も地元に帰って暮らしたいと思った事はない。
けれど、地元の街は好きだ。
なぜなら地元を離れてから、私の住んでいた世界が地元の全てではないと初めて知ることができたから。

当たり前のように食卓に乗っていた刺身は、他の街では高額なお金を出さないと食べられないことも。
毎年煩いとすら思っていた祭の音がない夏を、こんなにも寂しいと感じることも。
私と同じようにお酒が好きな人にとっては、私の地元は羨むほどの酒処であることも。
世の中に生きる人間は、同じ学校に通う子だけではないことも。
私と同じように苦しんだ時、音楽を支えに生きてきた人が大勢いたことも。
私がバンドをやりたい、と言っても、何言ってんだこいつ、という数奇な目で見る人は誰もいないことも。
全部全部、私は地元を離れたから知ることができたのだ。

地元にいるだけでは、私は知ることができなかった。
自分の地元が素晴らしい土地である事も、世界がこんなにも広いという事も。
だから私は、地元を離れてよかったと思っている。
それと同じくらい地元を好きでいる為に、私はこれからも離れた場所で暮らした方がいい、とも。

1人暮らしを始めて、家族一人ひとりを離れて見ることができた

同じことが、私の場合は自分の家族にも言える。
家族のことは好きだ。
お酒が好きであっけらかんとした母親も、寡黙だけど博識な父親も、私とは違うベクトルで同じくらい膨大な熱量を各々趣味に注ぐ2人の妹も。
この家族にして私あり、という感じがして、なんだか誇らしい気持ちにすらなる。

けれど、もう昔みたいに5人揃って暮らすことはない。
あの頃みたいにお風呂に入る順番で揉めて大声で喧嘩したり、お皿洗いをしていないと4LDKのマンションの一室で怒鳴り合ったり。
誰かが勉強をしている横で騒いだせいで、姉妹共同の寝室で殴る蹴るの取っ組み合いをすることはない。

家庭が崩壊するほど仲の悪い家族ではなかった。
けれど私たち家族は、揃いも揃ってみんな自己主張が激しかった。
(当然か、同じ血が流れているのだから。)
自分以外の家族が、自分の思うように行動しないと安易に癇癪を起こしていた。
けれど、私がそれに気付いたのは県外に出て1人暮らしを始めたから。
家族という人間一人ひとりを、離れて見ることができるようになったからだった。

地元と家族を好きでいたいからこそ、離れて暮らしたい

皮肉なもので、離れて暮らし始めてからの方が私は家族と仲が良くなったように感じている。
地元に帰省する度、母親とは1時間も2時間もいろんなことを話すようになった。
父親は娘3人に、好きなように生きろ、うちの墓のことは気にするな、と言ってくれた。
妹達とお互いを力の限り、言葉の限り傷つけるような喧嘩なんてしなくなった。

それでもある日母は、私がいつか地元に帰ってくることを望んでいた、と言った。
私が成人して社会人になって、自分が普段通う店で私とお酒を飲むのを楽しみに、これまでずっと生きてきた、と寂しそうに言った。

私は地元が好きだ。そこで私を生み育ててくれた、家族も大好きだ。
でも、だからこそ。私が地元と家族を、これからも好きでいたいからこそ。
私は地元と、家族と、離れて暮らし続けていたいと思っている。