私が今のバイト先に勤め始めたのは、まだ大学2年生の頃だった。
家電量販店の販売員というのは、スタートの時給は高いものの覚えることもやることも多く、おまけに個人の売り上げが悪いと容赦なく時給が下がる。
割りの合わなさにスタッフの定着率がすこぶる低い。
そういう職場だ。
店舗内の人間環境の良さだけで私もバイトを続けていられた口だ。
働き出して一年が経ったある日、店舗にかかってきた1本の電話
それなりに可愛がられて一年ちょっと経った頃だっただろうか。
店舗に一本の入電があった。
電話の相手は某大手メーカーのカスタマーサポートで、うちの店で購入したシーリングが取り付けできないという内容らしい。
お客様はスタッフに案内されて購入したそうで、折り返しを希望しているとのこと。
閉店間際の入電だったこともあり、カスタマーサポートに翌日の折り返しをお願いして、その日は終話した。
この場合折り返しをするのは、通常そのお客様を担当した接客スタッフだ。
受注を確認してみると、運悪くちょうど家庭の都合で長期休暇に入ってしまったスタッフだった。
該当担当者が不在の場合は、その商品を担当している部門が連絡をする。
それが会社のルールだ。
閉店間際のその時間、部門の人間で明日も出勤するスタッフは私ひとりだった。
商品の不良だか操作案内だかでの折り返しはよくある話。今回もそんな案件のひとつだろう、という軽い気持ちで折り返しを引き受けた。
それがまず、間違いだったと思う。
まだ社会に出ていない学生アルバイトの私に激怒
翌日、出勤後すぐに電話をかけた。
80過ぎくらいのお爺さんが電話の相手だった。
「スタッフから大体なんでも取り付けられると言われたから買ったのに、うちは金具が合わなくて取り付けられない!!メーカーに問い合わせたら別途部品が必要だと言われた!!どうなっているんだ!!」
と、既に温度感が高かった。
案内にミスがあったことはこちらの非なのでお詫びをし、すぐに発注の手配を取るので待って欲しい旨を伝えると、いつ入荷するのかと質問があった。メーカーが在庫を持っていることは聞いているという。
メーカーに在庫があるのなら通常一週間程度で商品は入荷する。
そのように伝えた当たりからお爺さんの態度が変わった。
それまでも怒ってはいたが、まだ口調は普通だった。それが、あからさまに怒声に変わる。
曰く、時間がかかり過ぎている、注文した商品なんて都内なら翌日には届くだろう!客を舐めているのか!!と。
それは、ネット通販などの話で、在庫のない商品を企業が企業に取り寄せるとなったらそれなりの行程がある。メーカーから店に直接納品されるわけでもないのだから時間がかかるのは当たり前なのだ。
ということを、量販店勤めが長くなった今なら平然と言える。
ただ、当時はまだ勤め始めて一年ちょっと、働いている時間だって学校が終わった後の二、三時間だったり土日だったりの学生アルバイトだった。
まだ社会に出てすらいない、二十歳になるかならないかの私は、全く見ず知らずの大人から怒鳴られることなんて初めてで、それだけで慌ててしまった。
言い淀む私に、電話先の相手は勝ちを確信したように、電気の配線関係のおそらく今では使いもしないような言葉を使って捲し立ててくる。
見て見ぬふりの会社と毎日かかってくるモンスターからの電話
耳慣れない言葉を必死に聞き取ろうとして段々と自分の敬語が怪しくなってくることが分かる。そうすると相手は重箱の隅を突くようにそこを指摘し始め、果てには内容には全く関係のない、見ず知らずの私の学力や生育環境を馬鹿にするような発言までし始めた。
明らかにクレーマーだし、営業妨害だ。
今ならもっと強気に応対出来たはずだが、当時の私はなんとか各所に掛け合い明日折り返すという方向で話を終わらせることで精一杯だった。電話を切ると既に一時間以上が経過していた。
その時点で既に一介のアルバイトには有り余るモンスターだったのだが、ここまでのやりとりを何となく遠巻きに見ていた社員たちは、アドバイスはしてくれるものの、対応を代わってくれようとはしない。
完全に見て見ぬふりだった。
メーカーや物流に掛け合っても結果は変わらない。
重い気持ちのまま出勤し、連絡をした。
モンスターは、自分の思い通りにならないとなるとまた喚き立てた。
こちらが話そうとする隙すら与えない。
ただただモンスターが喚き倒す一時間が始まった。何度、スピーカーにして店内に流してやろうかと思ったかわからない。
モンスターは気の済むまで喚き倒し、電話を切った。
終話した後は暫くぐったりして、仕事も碌に手につかない。
こんなにストレスフルなのに状況は改善せず、むしろ悪化している気すらした。
もう私以外が電話を取った方が丸く収まる気がするけれど、電話をかけたのは私なのだから私が責任を持って対応しきりなさい。それが、見て見ぬふりをしている会社の考え方だった。
それから一週間くらい、モンスターはほぼ毎日電話をよこした。
私がいないとなると無理難題を騒ぎ立てて、必ず折り返しするように伝言をする。
毎出勤毎出勤、理不尽に罵倒されることの繰り返しで、私はいっぱいいっぱいになっていた。
助け舟を出してくれたリーダーへの感謝と未だに残る違和感
私は何にも関係ないことでどうしてこんなにも理不尽な悪意に晒されないといけないのか。
辞めたい、もう辞めてしまいたい、でもお金がないと生きていけない……。
次に電話があったらもう、このバイトから飛んでしまおう。
そう思ったタイミングだった。見るに見かねて声をかけてくれたのは、自分の直属の上司ではなく、他部門のリーダーだった。
一般スタッフが負うべき責務を超えている、次に電話がかかってきたら自分が電話を代わるといってくれた。
もうおかしくなる!!と思っていた私は、その申し出に一も二もなく飛びついた。
これまでの経緯をレポートのような枚数の引き継ぎメモにして渡し、電話を待つ。胃の痛くなる様な時間だった。
その日も、電話はかかってきた。
宣言通りリーダーは電話をとってモンスターと話し始めた。
電話口が男性だとわかるやいなや、モンスターは急におとなしくなったそうだ。
ものの10分程度で電話は終わった。
私が一週間近く浴びせられた罵倒も、レポートみたいな量書いた引き継ぎメモもなんだったのか、と思うような呆気ない幕切れだった。
電話を切った上司は、
「上司が出てきたから落ち着いたんだろう」
なんて苦笑いしていた。
助け舟を出してくれたそのリーダーには感謝してもしたりない。
でも、その裏側に女だから何言ったっていいだろう、というモンスターの傲慢が見えて未だに釈然としない。