私は、わきまえている女。屈託のない笑顔で返事をすると

わきまえない女は、わきまえている女。
女性だから求められる事柄、女性だから期待される姿を、よく理解している。

私は地方赴任中であり、婚約者とは遠距離中。男性の先輩社員からかけられる言葉は、「結婚しても仕事続けるの?」「相手の勤務地に行かないの?」。
私はわきまえている。女性だから男性について行き、家事をしながら新しく見つけた仕事もする事が、世の中的に“よい女性”なんだろうなと理解している。
だからこそ、先輩に明るく笑顔で「私のキャリアは私が決めるんですよ~」「バリバリな女性って魅力的じゃないですか?」。
屈託のない笑顔で返事をすると、ほんの一瞬の間の後に「今の仕事を頑張ってね!」という趣旨の返事を頂く。

婚約者に言われる「俺は早く子供がほしいんだよね!」。
私はわきまえている。「私もほしい!いつ頃がいいのかね?」なんて笑顔で将来を見据えて、子供の話をすることが、世の中的に“よい女性”なんだろうなと理解している。
だからこそ、明るく笑顔で「え~妊娠は私しかできないから、タイミングは私が決めるよ~!」「一緒に楽しく子育てしたいから、育休1か月以上とれるような環境づくりを今からしておいてね!」。
屈託のない笑顔で返事をすると、男性の育休制度や理想的な妊娠のタイミングについてディスカッションができる。

気が付かないうちに、ジェンダーバイアスが埋め込まれている

私たちは生まれた時から、気が付かないうちにジェンダーバイアスを環境因子として埋め込まれている。
その証拠がベビー用品の売り場。ピンク、ブルー、たまにイエロー。わかりやすくバイアスのかかった売り場で買われた“女の子らしさ”の製品を身に着けて私たちは世に誕生し、幼少期を過ごす。そこにバイアスがあることを意識もしなければ、関係者全員に悪気はもちろん、意図などは一切ない。
そしてある日、自我をもち、自身の人生設計を考え始めた時に気が付く。自分自身の人生に、“女性らしさ”で満たされた輝かしいレールが用意されていることに。

ただ、難しいのはここからだ。
なぜ女性だからこうなの?女性らしさってなんですか?等、思いを率直にぶつけることは“気の強い女認定”される言動であり、それが自分の人生にとって必ずしもプラスのブランディングにならないことに気が付くからだ。
でも自分らしさを捨てたくない一心で、試行錯誤を重ねながら、女性らしく笑顔で優しい雰囲気で、自分のスタンスをオープンにする、わきまえた“わきまえない女”という生き抜き方を見つける。まだまだ、“わきまえない女”と言われ、手放しで可愛がられる女性像でないことをわきまえながら、したたかに。

私だからできることは何か、私ならどうするか。今のトレンドとは

#わきまえない女たち、#選挙に行こう、#緊急避妊薬を薬局で、#中絶薬の高価格設定に反対します

近年SNSではニュースに対して、自分のスタンスを発信し、それがムーブメントになることも増えてきた。目の前のことに疑問をもち、自分が自分らしく生きられる社会、また他者も他者らしく生きられる社会は何だろうと考える。“女性”や“若者”などのカテゴリー別で世の中がイメージする役割ではなく、私だからできる事は何か、私ならどうするかを常に考えて表現することが、今のトレンドのように思う。これがあくまでも現時点ではトレンドすぎないことをわきまえながら、ささやかに勇気の風に背中をおしてもらう。

わきまえない女たちは、わきまえて、今日もいつも通り仕事をし、おかしいと思ったら笑顔で意見を述べて、SNSでトレンドを確認する。
ただ日常を自分らしく生きていて、今後も私らしく生きたいと願いながら。