私をフェミニストにした出発点は一冊のノンフィクション

今の私は俗にいう「フェミニスト」である。
「女性だから」という理由で事件や理不尽なことが起きれば怒り、むしろ女尊男卑でしょと言われても怒る。

私がフェミニストになる出発点だったと言える本が伊藤詩織さんの『Black Box』である。
この本はジャーナリストである伊藤詩織さんが自身の性暴力被害をつづった「ノンフィクション」である。
そう「ノンフィクション」なのだ。

正直に言ってしまうと、私は読んでいてこんなにも苦しい気持ちで、さらに吐き気がするような本に出会ったことがない。
本当にこんなことが現実に起きているのか、それなのになぜ認めずにむしろ加害者を擁護する人が少なくないのか。
さらにその被害は嘘だ、むしろ本の内容はつくりもので売名のためだという人々までいることも知り、なぜ声をあげた側が批判されているんだ、なぜそんなことを言うんだと衝撃を受けた。

女子校という環境で気がついていなかった現実

ちょうどその時、私は女子校に通っていた。
体育祭や球技大会では多くの子が本気で、全力で取り組んでいたし、「男子がいないからみんなガチだよね」なんていう言葉にも違和感を持たずに同意していた。
本当は、人からどう見られてもその人がその人らしく、自分のやりたいようにやれるのが一番のはずなのに。
私は女子校という環境にいたために、気がついていなかっただけだった。
実は女性にとっては生きづらい世界、女性という性だけで、自分がコントロールできる範囲の外で、なにか勝手なものが作り上げられている世界なのではないかと思った。

そこから伊藤詩織さんに関するニュースを追うようになり、そこから派生してフェミニズムやジェンダーといった問題についても関心を持ち始めた。
そして、それらについて知識を深めていった、などと言いたいところであるが、当時の私は高校3年生、第一志望校合格に向けて受験勉強の真っ最中でもあった。
そのため、フェミニズムなどをもっと深めるようになったのは大学入学後になる。

そして時がたち、大学3年生の夏。
私は英語でスピーチやディベートをする部活動に所属していて、ちょうど、性教育に関するスピーチを書こうとしていた。
その時に「男性」として、とても参考になる意見を多くくれた友人がいた。
私は「男性」が「Black Box」を読んで何を思うのか知りたいと思っていたし、彼も興味を持ってくれたため、本を貸してみた。
私は感想を心待ちにしていた。性暴力の被害者が批判されるのはおかしい、などと一緒に憤ってくれるのではないかという期待とともに。

裏切られた期待。男性の友人の感想に衝撃を受けた

だが、感想は思っていたのとは違った。
「加害者が捕まらなかったのは問題だけれど、こういうこと(性暴力被害)を解決するのはやっぱり難しいんじゃない」
そんなにも軽く受け止められてしまうのか。私が読んだときに感じた気持ち悪さや怒りを感じなかったのか。
これは長い道のりだと感じた。そして彼はこうも言っていた。
「選挙権とか女性ももう持っているし、そういうように制度的には男女平等じゃない?」
そうか、そういう捉え方なのか、という衝撃を受けたことを覚えている。
私はそれに対してなぜ不平等を感じるのか、その実例やデータとしてこういうものがあると説明することができなかった。
彼を論破したかったわけではなく、ただ単純に少しでも理解してほしかっただけである。
今でも彼にきちんと自分の考えを説明できなかったことを悔やんでいる。
どんなに考えていても、勉強していても、他の人に説明できなければ意味がない。
共感までは得なくとも、まずは説明できなければ始まらない。
その経験を経て、私は自分の考えを言語化し、人に説明するために様々な知識を得たり、話せる場を見つけ話したりしている。
今はまだ、似た意見の人と話すことが多い。でもいつかまた、そうではない人に出会った時、私は自分の考えを伝えたい。

『Black Box』は私を変えた。そしてこのエッセイを読んだ人をも変えてくれるかもしれない。
現実のBlack Boxが開かれた暁には、また変化が訪れるかもしれない。