今の「私」を作った本。それは『フランス人は10着しか服を持たない』という本だ。

この本に出会うまで、自分の人生に大きく関わる本はなかった。本は自分を変えるほどの力はないと思っていたのではなく、むしろその逆で、良い本に出会えば自分の人生は大きく変わると思っていた。
車内広告でよく目にする「この本は私の人生を変えた」「きっとあなたの人生を変える」というような謳い文句は、より一層そう思わせ、当時人生の正解を求めまくっていた自分には、本は薬のような、他力本願で軌道修正してくれるものだと思っていた。

しかもその人生とは、大学を卒業後就職し、家族を持つというような世間一般のレールだった。「普通」ができない自分にとって、「人生を変える」とは皆と歩く道を同じにすることだった。歩きたくないという本心に気づかずに。

現実逃避中、憧れのパリに触れる本を読み漁った時に出会った一冊

大学4年次にこの本に出会った。
就職をしたくないが、やりたいこともなく、就職以外の他の道を探すべきなのに目を瞑って現実逃避していたときだった。
もういつ死んでもいいやという心境で、毎日暗闇の中にいるようだった。

じゃあもし死ぬならその前に何を1番したいかと自分に問いかけると、いつもパリに行きたいという答えが心に浮かび、その時だけ気分がぱっと明るくなった。
まだ見ぬヨーロッパ、とにかくパリに行きたかったし、パリの文化に触れたかった。題名にパリとつく本は種類関係なく読み漁り、この本はその中の一つだった。

当書は今でいう断捨離のような、物との付き合い方を通して自分本位で人生を歩くエスプリで、今を楽しみ、今を生きる大切さを説く。著者のカリフォルニアガールがパリの元貴族の家にホームステイし、パリの文化を暮らしながら学んだ実体験で、資本主義が顕著なアメリカ文化との違いに驚きながらも、その家のマダムと一緒に生活する中で、物事を丁寧に行う大切さを知る。

食事一つでも、そのために間食をせず、家族と楽しみながら時間をかけじっくりと味わう。就寝時はスウェットではなくパジャマを着て寝ることに集中する。「今」を上質にし集中することは、「今」を楽しみ精神的に満足することにつながる。

本を読んで気づいた「取捨選択」は母から自由になれる方法でもあった

部屋の乱れは心の乱れというが、物は自分の心の表れだとこの本を読んで痛感した。
部屋の中にある物を手にしたとき、もしそれが趣味のフィギュアだったら自分の「好き」の表れであり、なんとなく買ったそれほど気に入っていない服だったら、それは心が満たされないということの表れで、ショッピングすることでその不満を埋めようとしたことがわかる。

物と向き合っていくうちに、特に当書中の「物を買うときは初見で買わず、家に持ち帰ってじっくり考え納得してからまた買いに行く」という買い物の仕方は、私の物欲を減らし、違う形で自分の欲を埋めるきっかけになった。
物を買うことは心の表現の一つだが、その表現方法だけだと破産してしまうし健康的ではない。

またの当書の「気に入ったものを身に着ける」というマダムのルールは、親や友人の声ではなく、自分の本心に従って持ち物を取捨選択していかなければならない。
わくわくしながらまずは洋服から実践してみたが、取っておきたいものは数着しかなく、処分するもののほとんどは、母に褒められるからと買っていた母好みの服ばかりで、自分はだいぶ母に依存していることに気づいた。

また服を捨てるのに「わくわく」したのは、実は母から自由になりたかったんだと思う。解放のような、脱皮のような、「生まれ変わるんだ!」という自分の意思を持つ嬉しさだったように思える。もったいないと母に言われても自分の意志でたくさんの服を捨てた。

本を読み「捨てる」ことで気づいた、「今」に集中する大切さ

捨てることは重要だ。もったいないからとフリマアプリで販売したり、いつかのためにと取っておいたりすることは、問題を後回しにし、何より使いたくないものを買ってしまったという反省ができない。
「捨てる」という行為はそのときだけを考えると「もったいない」が、その「もったいない」思いをすることで、買う前に「自分は本当にこれが欲しいのか」「なぜこれを買うのか、本心はどういう状態なのか」と思いとどまらせてくれる。
物を捨てるということは、高いお金を払って気づきを与えてくれることだと当書を読み、それを何年も続けてようやくわかった。

身の周りを整理すること、自分好みのものしか身に着けないこと、持ち物には手入れをして丁寧に扱うこと、間食をやめて食事を楽しむこと。これらは自分の本心に気づき自分を認め自分の欲を満たす。
今がなければ未来はない。未来に重点を置くのではなく「今」に集中することは「楽しむ」ためのエッセンスだった。