「あなたって、果てしなく不器用」
子どもの頃から今に至るまで、周りから、よくそう言われる。
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確かに、痛いくらい、その自覚はある。新しいことを覚えるのには、人一倍時間がかかる。そして、2つ以上のことを同時にやろうとすると、段取りが上手くできない。全部に手をつけてしまって、全部が中途半端になる。自分でも時折、救いようがないと感じるくらいだ。
「車なんて、一生運転できないんだろうなぁ…」
自他ともに認める、不器用な私が運転するなんて、想像もできない。そう思い込んでいた。学生の頃は、申し訳ないと思いながらも、もっぱら人の助手席に乗せてもらっていた。
「こんなこと、いつまでも続けられまい」
そう焦ってはいたが、どうしていいか、わからなかった。しかし、車社会である地元で生きていくなら、何とかせねば。時間ばかりが、過ぎていった。
そして、ついに一念発起して車の免許を取ったのは、23歳の時。会社に入って、すぐのことだった。
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「お仕事、休ませてください」
私は入社早々、仕事を休んで合宿に行くことにした。しかも、悩んだ末、丁寧に指導してくれると有名な、遠い街の教習所を選んだ。
新卒のくせに、上司からしたら、迷惑もいいところだ。そう思ったが、当時はそれしか方法が思いつかなかったのだ。
こうして、私は未知の世界に飛び込んだ。
結論から言おう。運転してみたら、かなり下手くそだった。想像していた以上に、自動車というものの理解に苦しんだ。
「ハンドルは、回したらその分戻さないと、タイヤがまっすぐにならない」
教習を始めてすぐの頃から繰り返し注意されたが、今一つ、意味がわからなかった。何度も縁石に乗り上げ、ボディをこすった。それでも、体が慣れてくると、やっと感覚がつかめた。そして、場内のコースをぐるぐる回れるようになったのは、そこから2ヶ月後のことだった。まったく、とんだ大物(いつまでも上手くならない人のことを、業界ではこう呼ぶらしい)だ。
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やっとの思いで路上に出ても、それはそれで、困難の連続だった。
運転が下手くそな上に、地元とは違うので、全く土地勘がないのが、災難だった。
周りの状況なんて見えないくらい、毎回ガチガチに緊張した。ハンドルを握る手に力が入りすぎて、気がつくと蛇行していたことは、数え切れないほどある。夜になんか乗ろうものなら、真っ暗で、誰も助けてくれなくて、泣きたくなった。
「いい加減、自分の道を作りなさいよ!(=ここは、あなただけの道じゃないんだから、状況をちゃんと見なさいよ)」
「お酒でも飲んできたの?」
左側からしょっちゅうそう言われた。自分の下手くそさ加減は、嫌になるほどわかっている。わかってはいるのだが、どうにもできないのだ。
「もう、やめようかな…」
何度も、心が折れそうになった。
結局4ヶ月もかかったが、様々な方のご支援のおかげで、私は何とか教習を終えることができた。
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家に帰ってすぐ、両親がポンと車を買ってくれた。
「運転しないと、忘れるから」
と言う。
休みの日に何度も乗ってみるものの、いくらやっても、大して上手ではない。相変わらず反応は鈍いし、緊張して蛇行もする。30分ほど家の周りを回る程度でさえ、降りた後はぐったりする。
一緒に乗ってくれる母からは、
「人を乗せようなんて、思わないほうがいい」
とも言われた。要は、無理して運転するなという話だ。悔しいが、それが私の精一杯の実力なのだ。
そんなわけで、免許を取った今でも、通勤や外出は親が頼りだ。
それでも、いざとなったら運転できるというのは、大きな変化だ。
えらくゆっくりした亀だが、私は、自立しようと歩き始めた。
さて、どこまで行けるのやら。