この時期になると思い出すのは、高校三年生の時のことだ。

私にとって高校三年生は「絶望」の時期だった。
当時、東京の大学進学を希望していた。理由はただの憧れかもしれないし、実家からとにかく逃亡したかったのが原因かもしれない。ただ私はこれで人生が大きく変わると信じていた。

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しかし、周りは誰も応援してくれなかった。家族、担任、友人。
家族は敵だった。家族は「寂しいから」という理由で私を引き止めた。
特に父の圧力はすごかった。父は地元の大学、自分の母校がどれだけ良かったか顔を合わせるたびに語った。そんな話を聞くのが嫌で、家ではいつもイヤホンをした。イヤホンをすると、勉強にも集中できなかった。
父は「地元の大学に行って、地元に就職して、普通の人生を歩みなさい」といつも言った。私はそんな普通が嫌だった。平凡な日常に飽き飽きしていた。遠くに行けば、何か自分では気づかない新しい自分になれるのかもしれない。そんな大きな期待をしていた。

担任は父の意見を聞き、「東京に行くのはやめなさい」と言った。担任は地方の国公立大学
を勧めた。私の志望校に書いた学部も「就職に役に立たないからやめなさい」と言った。私はただ首を振った。
「何でそんなに東京に行きたいんだ」
そう聞かれても何も答えなかった。私の気持ちなんて大人には理解されない。そう思っていた。

友人のことも信用していなかった。友人達は地元の大学を志望していたり、上から五本の指に入るくらいの優秀な大学を当たり前のように志望していた。そんな友人達に自分の本当の気持ちは言えなかった。友人も気持ちを察してか、受験についての深い話は振ってこなかった。私の味方は0だった。

自分の唯一の味方は音楽だった。東京を舞台とした歌詞に私は励まされていた。音楽は誰のことも敵にしなかった。私は一人の世界に閉じこもった。

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受験直前の秋、一度模試の成績が下がったことがあった。
父はそんな私をさらに否定したにした。「お前には無理だ」そんなセリフが鋭い刃として容赦なく突き刺さった。
その頃から、学校に足が向かなくなった。布団から出られなくなった。布団から出ると、父と顔を合わせなきゃいけないから。

布団越しに父が電話する声が聞こえてくる。「あの子はもうダメです」。心が泣いていた。
でも泣けない。私の顔から表情が消えていた。
そんな私が動けるようになったのは受験期の一月になってからだった。
「このままだと何も変わらない」
そんなことにふと気づいた。
もうダメかもしれない。けど、ダメなままではずっと暗闇の、一人の世界に篭ったままだ。私は家の外に足を踏み出した。

そのまま塾の自習室や図書館に篭った。赤本を解いた。その時の私はとても冷静だった。挫けそうな時は芸能人の受験苦労話のネット記事を読んでいた。父もそんな私を見て、渋々東京の大学の受験手続きをしてくれた。

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受験当日。新幹線に乗って、東京に降り立った時。「私はもう一度ここに立ちたい」そう思ったことを覚えている。慎重に、冷静に、試験問題を解いた。
受験結果が出るまでも苦難の連続だった。父と喧嘩し、警察が来たこともある。「もう少しでこの暗闇が終わる」そう信じていた。神様、お願い。あとは祈るだけだった。
合格通知が来たのはその2日後だった。父は一言「おめでとう」と言った。少しだけ未来に光が射した。

都会の喧騒の中、歩いていると当時のことをふと思い出す。あんなに憧れていた夢の街だったが、私の日常にすっかり溶け込んでいる。東京に来てみたところで、私は私のまま変わっていないなと思う。でもたまに高校時代の知り合いと会うと「変わったね」とか言われるので、何らか自分では気づけない変化があったのかもしれない。
ここに来てみてから、一人暮らしの高いお金を出してくれている家族の苦労にやっと気づいた。一人で闘っているような気でいたが、私は途方もないくらい沢山の人に迷惑をかけていた。

あの時から6年が経ったが、今もまだ夢の途中にいる気分でいる。しかし、刻一刻と時間は過ぎている。未来は作り出すものだ。動かないと変わらない。当時の自分が今の私の未来も支えている。