私は自分の名字があまり好きではなかった。
一文字で、名前との恰好がとりづらいことや、濁る音があまり好きではなかったから、というのが大きい。
なので、何も考えていなかった、本当に幼い頃は『けっこんしたら、どうせかわるし!』くらいの捉え方しかしていなかったから、不純な動機で何となく結婚というものを欲していた気がする。
しかし、だんだん歳を重ねるにつれ、私は大きく“結婚“という道を逸れていくことになる。
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私は中学生になると、地元から少し離れた、地元よりはちょっとだけ、都会の中学校に進学した。そこには当たり前だけど、いろんな人が居た。
最初、私はマスコットキャラクターのような、お笑い要員みたいな、そんな立ち位置に着いた。その頃は歩いていると「あ、○○さんや!物まねやって!」とか、クラス・学年問わず皆が声をかけてくれる、ちょっとした有名人みたいな扱いだった。
それがちょっと照れ臭かったけど、田舎からひとり出てきた私にはありがたくて、全力で物まねなどもやっていた。
2年生になると、クラス替えがあった。そこで私はそれまで仲の良かった友人全員とクラスが離れてしまい、遅れてきた人見知りを発症したのだった。
そのうえ、“学生時代の女子のお笑い要員”に一番要らないものまで自覚することになる。それが、“女性らしさや異性への恋心”だった。
そのまま一気に、私の学校でのヒエラルキーは下層に落ちていった。部活動内・学年内でのいじめや、クラスの女子の間での裏切り。そんなものもひとしきり経験した。いわずもがな、失恋も、何度も。
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そんな私は、14歳の冬にネットを始めたことで徐々に考えが変わっていき、恋愛のフィールドをネット空間へ移すようになっていった。
『面と向かって話すより、ネットで同じような人たちと恋愛する方が楽』
そう思うようになって、ネット・携帯依存になった。16の頃にはもう完全に染まっていたと記憶している。
高校1年の頃、学校で親友だと思っていた同級生とのトラブルなども重なり、精神を蝕まれ、学校に行かなくなって、私には本当に、ネットしかなくなった。
そこからは、通信制高校に編入したり、医療系の専門学校に入学も夏休みに自主退学したり、親元を離れて暮らし始めるも挫折、仕事が決まって勤め始めるも行かなくなる、など(その間定期的に精神科への入退院も繰り返している)まさに一進一退を繰り返している。
もちろん、時期によって濃度はバラバラだけど、ネット・携帯(今はスマートフォン)依存は続いている。
そう、同じような人と出会う、ネット恋愛もやめられていない。
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私はもうあと2年もしないうちに30歳になる。
ネット恋愛に縛られて生きている時間も人生の半分ほどになった。
ネット恋愛というものは、えてして、現実化(実際に会う等)する前に終わってしまうことのほうが圧倒的に多いと、この十何年かで痛いほど自覚している。
それに、私は主に、“同じような人”としか出会っていないから、この国で現在婚姻関係を結ぶことは出来ない。それは要するに、『“結婚”というもので名字を変える世界に、私は 10年以上、存在していない』ということである。
正直なところ、この先、どうなるかは分からない。
先日、しばらくぶりに、推し以外の男性に興味を惹かれる場面があり、連絡先交換まではこぎつける、などという新しいトピックもあったからだ(なお、とはいえネットの世界を脱したわけではないが、ありがたいことに日々会話はさせていただいている)。
その男性とも、お互いの名字について話をした。するとお互いが、お互いの名字を素敵だなあと思っていて、お互いが自分の名字があまり好きではないことを知った。
その時に、思ったことがある。
『今の私に出来ることは、“自分のことを、自分の名字を、受け入れてあげること”だ』と。
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散々自由に生きてきた私。確かに傷つきもした。でも、そんな私にも、今の段階で持っている、財産がある。そのひとつが、その男性が「素敵だなあ」と思った、この名字かもしれない、と。
そういうものを否定せず、受け入れてあげる。それも大事なことかもしれないと私は最近になって感じ始めた。
私の名字が、この先何十年かで変わるのか、はたまたずっと今のままなのかはわからない。けれど、私の生まれたままのこの名字を素敵だと思ってくれた人が、私の人生には確かに居たこと。これからもそれを胸に留めて、自分を、この名字をいとおしく思えたら。私はそう思うのだ。