私の名前は画数がよくない、らしい。
どういう話の流れでそう言われたのかはもうよく覚えていない。おそらくは寝物語に聞いていた祖母の、私の母に対する愚痴の1つだったのではないかと思う。
情景も話のディテールも今となっては何も思い出せないのだが、私の名前の画数は私の名字の画数と相性が良くない、ということと、
「まあ、〇〇ちゃんはそのうちお嫁にいくんだから関係ないんだけどね」
とその話が締めくくられたことは何故だか今でも記憶に残っている。
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画数がよくない、とは具体的には何がどう悪いのか、よくないからどうなってしまうのか、
幼い私にはよくわからなかったけれど、とはいえ「よくない」ということは何かマイナスな意味を持つということだ。
耳に馴染んだ自分の名前が何かとんでもないもののような気がする。
そのうちお嫁にいくからといって、私の両親はそんな適当な名づけを私にしたのか。
ちょうどそのころ、母のお腹の中には弟がいて、生まれてくる赤ん坊が男の子だということがわかり名前辞典とにらめっこをしている両親を間近で見ていたこともあって、私はとてつもないショックを受けた。
その後、祖母は「男の子はそういうわけにもいかないからね」とも言っていたように思う。
勿論、両親が適当に自分の名前を決めたとも思っていないし、祖母だってたいして深い意味は無くそう口にしたんだろう。私がショックを受けた祖母の発言も戦前生まれの祖母の認識としてはごく当然のものだったのだろうと理解できる。それに、私も小さい頃は結婚したら当然名字が変わるものだと思って、好きな男の子が出来るたびにその子の名字と自分の名前を紙に書いたりしたものだった。
それくらい私にとっても大半の女性にとっても結婚したら相手の名字に変わるんだ、というのは刷り込まれた常識だったのだと思う。
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もうあの夜から20年は経過している。
幼い頃描いていた誰かのお嫁さんの私の姿はなく、周囲には結婚のけの字も見当たらない。
祖母がどうせ変わるんだからどうとでもなると思っていた名字も未だに私の名字として公私の別なく大活躍だ。
一方で周囲では結婚ラッシュが始まり、友人のLINEの表示名が結婚後の名字と旧姓の並列というパターンに出くわすことが増えた。友人を名字で呼ぶことに慣れていたから、結婚後に何と呼べばいいのか迷ってしまう。
私は迷うだけでいいが、当事者である友人たちは免許証や口座、クレジットカードなど諸々を変更する必要に迫られ手続きに追われていた印象が強い。
この文章を書いている今何の気なしにSNSを開いたら、「別姓のため離婚」というネット記事がトレンドに入っていた。なんてタイムリーなんだろう。
記事を読みながら何も離婚をしなくとも、と思ったりしたが文中で女性が言っていた、
自分が自分で無くなるような感覚、というのはちょっとわかるな、と思った。
画数が悪い、と言われたあの日の感覚に似ている。
名字を変える必要があるのならば、そうまでして結婚したいとも思わないかもしれない。既婚者の友人はそういう色々をひっくるめてそれでも結婚したいと思ったのか。
なんだか途方もない気持ちになる。
なんてことを思いながら、私は今日も画数が悪いと言われた名前で生きている。