好きじゃなかった旧姓。だけどそれはちゃんと自分の一部を担っていた

子どもの頃から、私は自分の名字があんまり好きじゃなかった。
学校には、何人も同じ名字の人がいた。近所にも、同じ名字を表札に掲げている家がかなり多かった。
父の本棚にあった、名字の発祥に関する本をぱらぱらめくってみたら、「埼玉県で一番多い名字」と書かれていて、なるほどだからかと、埼玉県民の私は大いに納得した。この本のデータはちょっと古いようだったけれど、それでも今も変わらず上位5位以内には食い込んでくるような、埼玉にはうじゃうじゃいる名字らしい。
要するに、「ありふれた名字すぎてつまらない」と思っていた。そのうえさらに気に入らなかったのが、あ行の名字だということだった。
例えば授業中に何かの発表をする際、発表順は「じゃあ名簿順で」となることがほとんどだった。「廊下側の席の先頭から順番に」みたいなこともあったけれど、肌感だと大体が名簿順だったように思う。
五十音順で並んでいる学校のクラス名簿。つまり1人ずつ順番に何かをやらされる場面では、いつだってすぐ自分の番が回ってきてしまった。あ行だからだ。緊張しいの私にとっては、結構な苦痛だった。
「嘘でしょ?」と途方に暮れたのが、中3の始業式の日だ。生徒昇降口に貼り出された新しいクラス名簿の中で、私の名前は先頭にあった。つまり、出席番号が1番だった。
あ行である以上、出席番号が1桁なのは逃れられない使命だったけれど、1番になったことはそれまで一度もなく、別のクラスに行ってしまったあ行仲間を軽く恨んだ。トップバッターで何かを発表したりしなければいけないなんて、たまったもんじゃない。
だから、結婚して、名字がパートナーの姓に変わることには、正直なところ嬉しさしか覚えなかった。学校を卒業すれば名簿順がどうだとかいう話とは縁がなくなるものの、自分の名字に対する退屈感は変わらず持ち続けていた。
婚姻届には夫婦どちらの姓を名乗るか記入する欄があるけれど、迷わず「夫」の枠にレ点を入れた。「どっちの名字にする?」といった話し合いも、一切しなかった。パートナーの彼も、当たり前のように私の名字が変わることを受け入れていた。
前撮りも結婚式も新婚旅行もしなかったから、新しい名字が、私にとっては結婚したという実感をもたらす数少ない証だった。
免許証や銀行口座など、諸々の名義変更の手続きは確かに面倒臭かった。病院などで「◯◯さん」と新姓で呼ばれると、すぐに反応できないことも多々あった。それでも、多少の不便さや厄介さは最初のうちだけだろうと思っていた。2年、3年……と過ぎていくうちに馴染むものなんだろう、と。
ただ、結婚して半年か、1年かが経った頃だろうか。
何のタイミングでそう思ったのかは忘れてしまったけれど、自分の旧姓に対してひどく安心感を覚えた瞬間があった。見飽きてはいるものの、実家のリビングのような唯一無二の居心地。
大体の場面では新姓を名乗っていたけれど、結婚前から関わっている仕事の案件など、旧姓を字面として目にする機会がまったくなくなっていたわけではなかった。
ずっと「退屈だな」「つまらないな」と感じていた旧姓だったけれど、少し距離を置いてみると、ちゃんと自分の一部を担っていたことにふと気づいた。対して新姓は、嬉しい反面、どこか借り物めいた感覚が否めなかった。この借り物感は、結婚して2年半弱が経った今でもまだある。
新姓は、外側にすぽっとはめられた「枠」のよう。旧姓は、内側に存在している「核」のかけら。私はふたつの名字に対して、そんな感覚を覚えた。
結婚に伴う名字のあれこれは、世間的にも大きく議論されている。選択的夫婦別姓、私は賛成だ。名字が変わったことが結婚の証になった、とは書いたけれど、これはあくまで私がそう感じたというだけの話で、万人に共通するとは思っていない。夫婦になっても別々の個人であることに変わりはないし、同一の名字を名乗れと強制するのは、ナンセンスといえばナンセンスなのかもしれない。
もし私が、「名字が変わるのはイヤだ」と強く訴えていたとしたら、パートナーの彼はどんな反応をしたんだろう。この機会に、ちょっと聞いてみようと思う。
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