呑み会の後、1人暮らしの家に帰る道中に現れる“奴”との付き合い方

私はお酒の場がダイスキだ。
1人で呑むお酒には興味がなく、人と呑むお酒がダイスキだ。
友達と呑んでも合コンで呑んでも知らん人と呑んでも楽しかったら何だっていい。
ただ、楽しい呑み会には奴がくる。
1人暮らしの家に帰る道中、奴は現れる。
私は奴のことを“孤独”と呼んでいて、孤独を強く感じると私の中に潜んでいた“さびしさ”というものが押し寄せてくる。
呑んだ帰り道、「あー楽しかった。これから1人の家に帰るのか」こう思った経験がある人、私の同志よ。あの何とも言えない気持ちについて語らいたい。
世界中で1番さびしいのは私なのではないか?と思えるような孤独感。
楽しかった呑み会の帰路は、世界の中心で何かを叫びたくなるくらいさびしい。
あれだけ笑ったのに、また会おうって約束したからまた会えるのに、楽しければ楽しいほどに切ない。
つまらない呑み会は帰りたくなるから好都合だったんだとさえ思える。
季節の移り変わりが分かる時に呑んだ時の景色の儚さ、それから冬の寒さによる心の凍結。
あれはなんだ!あの名前は何だ!
「1人暮らしは楽でいいや」と思っていた呑み会前の自分に、謝罪して頂きたくなるくらい孤独を感じる。
その感情に陥りたくないからもう呑み会になんか行かない!なんて言えない酒家の私を恨む。
いや、ネガティブに考えすぎなのではないか。
もしかしたら考え方を変えてみたら、もう少しあの時間をスキになれるかもしれない。
逆の発想はどうだろう?
『呑み会の帰り道の孤独は、さびしさと大いに向き合える時間』
そんなふうに考えてみるのはどうだろうか。
最早あれも自分にとって大事な時間なのかもしれないと思えるのでは?
だって、あの瞬間にそばにいて欲しいと思い浮かべる人って、紛れもなく私にとって必要な存在。
1番そばにいて欲しい人が誰なのか分かるって、素敵なことではないか?
孤独と向き合い、さびしさと向き合い、誰かを思い浮かべる。
その“誰か”をこれから大切にしていけばいい。
誰を大切にすべきか分かることがさびしさと向き合った時の"お土産"なのかもしれない。
そのお土産を持って、大人しく1人暮らしの家へ帰ればいい。
いや、大人しくなんかしないで酔った勢いで電話をかけてみてもいい。
さびしさと相反する感情を抱くことが出来るかもしれない。
さびしさと向き合えた奴にしか味わえない感情があるのかもしれない。
楽しさの裏にはさびしさがあり、さびしさを乗り越えたらまた楽しさがある。
その繰り返しが人生を彩っていく。
苦手な感情ではあるが、さびしいと感じることは悪いことではないと思うようにしよう。
いつかまた来たる楽しさを存分に味わう為のスパイスだ。
様々な感情に襲われることがあるが、それが生き死にかける、人生というものだ。
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