犬屋敷家の笑い話。それは、祖父が引き起こすハプニング。
祖父との思い出はたくさんあるけれど、今もなお語られているのは、彼がやらかした話。
一昨年、祖父は86歳の生涯を終えた。もう会えないけれど、今でも一緒に笑っていた頃のことをよく思い出す。

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さて、本題に入る前に、祖父について知っておいてほしいことがある。
祖父は、とても仕事ができる人だった。
詳しくは知らないけれど、ボイラーや配管などを扱う会社で働いていたそうだ。技術を競う大会では、県大会で優勝。全国大会では3位に輝いた。それ以来、定年を迎える日まで、全国から指名で仕事の依頼がきていたらしい。

手先の器用さは日常でも発揮され、自転車のパンクや壊れたラジオも自分で直していた。
不器用な私の図工の課題を、よく手伝ってもらった記憶がある。そんな頼もしい部分がある反面、祖父は少し耳が遠くて天然だった。

ちょっとしたことをタイミングよく言って、場を和ませ、ときには聞いてた人全員が大爆笑することもあった。当の本人は、何故みんなが笑っているのか分かっていない。
みんなが笑顔だから、自分も笑う。
そんな人だった。
上記を踏まえて笑い話を読んでもらえると、面白さがかなり増すこと間違いなし。

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今回は、家族満場一致でナンバーワンのハプニングを紹介する。

題して『車椅子から脱走事件』。あれは、10年以上前のこと。
入院中で、少しなら起き上がっていても大丈夫になり、リハビリをかねて車椅子に乗せられていた祖父。

廊下の景色がいい場所に車椅子を停めてもらい、他の患者さんたちと一緒に過ごしていた。
30分程して、看護師さんが迎えに来ると、祖父だけいないことに気づいた。
病室に行ってみると、祖父がベッドで寛いでいる。
「あら、犬屋敷さん!ここにいたの?」と言われ、祖父はただニコニコしていた。
いなくなっただけでも騒ぎになっていたのに、看護師さんの間で「誰がここまで運んでベッドに寝かせたのか」と、さらに大騒ぎに発展。

祖父に聞いても「え~?」「分かんないな~」と言っているだけ。看護師さんが何度か質問すると、観念したように祖父が答えた。
「俺が自分で戻って、ここに寝っ転がったんだ」
完全には回復していない祖父が、自力で車椅子を動かして病室へ戻った 。当時の祖父の状態から考えると、それだけでもすごいことだった。

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さらに驚いたのは、車椅子に掛かっていたロックを解除したこと。車椅子から身体が落ちないようにするベルト。背面側にロックする部分があり、見ないで外すのは難しい。
「どうやって外したの?」と聞かれ「他の患者のを、つけたり外したりしてるのを見て覚えたんだ」と、得意げに答えた祖父。
実は、他の病院でも手が使えない状態のときに、ベッドの転倒防止の柵を外した前科(笑)がある。

仕事柄、設計を理解しながら作ったり、修理したりしていた。まさか、働いていた頃の力が病院で発揮されてしまうとは。お見舞いに行ったときに、看護師さんからこの話を聞いて知ったという母が一番笑っていた。手先が器用で構造を理解し、耳が遠いのをいいことに知らばっくれた祖父。この後、祖父は祖母にこっぴどく叱られたということで、その情景も目に浮かぶ。

普通の人が聞いたら「危ない」「病院側がしっかりしないと」となるかもしれない。でも、犬屋敷家の場合は違う。今回のハプニングも含めて、どれも祖父ならやりかねないと、家族みんなが納得してしまうものばかり。

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偶然が重なったりして起きたものが多いのもあって、心配するよりも笑いが勝ってしまう。
祖父はある意味、奇跡を起こす人。笑いのこともそうだけど、とにかく運が強かった。
祖母の美容院に置いてあるテレビ、温泉の無料券、ディズニーランドのペアチケット。
すべて祖父が福引きで当てた。「欲をかかなきゃ当たるんだよ」と、ニカッと笑っていた祖父。

しかし、祖父の強運はこの程度では終わらない。
実は、祖父は何度も命を救われている。心臓を患っており、何度も救急車で運ばれた。
でも、数日後には笑顔で帰ってきた。薬局で倒れて頭を強打・出血したときは、もうダメかと思った。

私たち家族のことが分からず、意思疏通も取れない状態から、奇跡的に回復して退院。
このときは、ホッとして家族みんな涙が溢れたのを覚えている。
さすがに末期のガンには勝てなかったけれど、祖父は私たちに、たくさんの笑いと奇跡を見せてくれた。

家族を大事にしてくれた祖父のことは大好きだし、きっと忘れることはない。
笑い話と一緒に、祖父はずっと私たちの心の中で生きている。